冠詞とは何か
冠詞の説明というと、ほとんどの英文法の文法書で「不定冠詞」と「定冠詞」から始まっています。これは英語に限らずフランス語やドイツ語の文法書でも同様です。英文法は冠詞のないラテン文法を元にしているため、冠詞についてはあまり考えていないように見えます。したがって、英語で書かれている文法書では冠詞についてきちんと定義されていないのはやむを得ないと思いますが、日本語で書かれている文法書でも同じように解説しているのは大いに問題だと思います。というのは、日本語には「冠詞」という言語表現がないからです。したがって、日本語で書かれている文法書では、まず<冠詞とは何か>という解説から始めるべきだと思いますが、「冠詞」の定義をしている文法書を私は見たことがありません。せいぜい「冠詞は名詞の前につく」などという表面的な現象を語っているだけの文法書が大半です。これでは欧米の言語学者の言説を<丸呑み>していると言われてもしかたがありません。日本人が冠詞を苦手としているのもこうしたところに原因の一端があるのだと思います。
<冠詞>とは一体何なのでしょうか。英語では(英語以外のヨーロッパの言語で冠詞のある言語も同様だと思いますが)、何らかの実体概念を表現する場合、言い換えれば、名詞を使って何かを表現したい場合、その名詞の属するカテゴリーを表現してから、名詞を表現します。その際、特定のカテゴリーに属する実体概念であることを表現するために<冠詞>をつけるのです。従って、特定のカテゴリー以外の名詞については<冠詞>をつけません。この場合は<無冠詞>になります。ただし、この<無冠詞>は何も表現していないわけではありません。<冠詞>が必要な特定のカテゴリー以外に属する実体概念であることを表現しているのです。
それでは、どのようなカテゴリーがあるのか解説していきましょう。まず第1に<固有概念>があります。これは「話し手と聞き手の間で固有性をもつ概念」を表現するものです。「固有性」といっても必ずしもこの世に1つしかないとか、1人しかいないというわけではありません。たとえば、JohnやMaryなどの人名を持つ人はたくさんいると思いますが、「話し手と聞き手の間で固有性をもつ概念」であれば、<固有概念>になります。この概念に属することの多い名詞を<固有名詞>と言います。ただし、<固有名詞>は必ずしも<固有概念>を表現するわけではありません。次に述べる<数的概念>を表現することもあります。また、<固有概念>は次に述べる<数的概念>の中の特殊概念と考えることもできます。<数的概念>の中で特に「固有性」を持ったものが<固有概念>ということができるのです。
第2に<数的概念>があります。<数的概念>とは「人工的な単位を使わなくても数えることのできる概念」を表現するものです。これがいわゆる<数えられる(countable)名詞>ということになります。この概念に属していることを認識し、表現するための言語表現が<冠詞>なのです。この概念に属することの多い名詞を<普通名詞>と言います。ただし、<普通名詞>は必ずしも<数的概念>を表現するわけではありません。次に述べる<量的概念>や<非数量概念>を表現することもあります。
<数的概念>には、<数的任意概念>と<数的既知概念>の2種類があります。<数的任意概念>は同種のものが複数存在する場合に、その中から任意の1つまたは任意の複数個を取り出す場合の概念です。同種のものが存在するということは「人工的な単位を使わなくても数えることのできる概念」なので、<数的概念>となるのです。この<数的任意概念>を表現するのが「不定冠詞」です。また、<数的既知概念>は少なくとも聞き手にとって「既知」であると話し手が認識しているものやことを示す<数的概念>です。すでに言及したものを示す場合や、種類として特定する場合、さらに「通念」として認識しているものやことなどが該当します。「通念」とは聞き手の間で共通する認識が想定できると話し手が認識している概念のことです。例えば「通念」として"the doctor"と表現した場合、「医者といえば・・・」と考えたときに想定できるイメージがあって、このイメージは聞き手にも共通して認識できるだろうと想定したときに使用するものです。この<数的既知概念>を表現するのが「定冠詞」です。
第3に<量的概念>があります。<量的概念>とは「人工的な単位を使わないと数えたり、量ったりすることのできない概念」を表現するものです。これが次に述べる<非数量概念>と併せて、いわゆる<数えられない(uncountable)名詞>ということになります。長さや重さ・容量などの人工的な単位を使用して把握すべきものを指します。形態としては、多くの場合、「液体・気体・粉末・ペースト状のもの」などが該当しますが、固体でも金属などは重さで量る場合には<量的概念>で表現されます。具体的には「元素および化合物全般」が該当しますが、それ以外にも<数的概念>の部分を構成する部分も該当します。例えば、建築物の建築材料となる岩石(例えば大理石や花崗岩など)や金属・木材や製品の一部を構成する部材、料理の食材が<量的概念>になります。この概念に属することの多い名詞を<物質名詞>と言います。ただし、<物質名詞>は必ずしも<量的概念>を表現するわけではありません。前に述べた<数的概念>を表現することもあります。
なお、上記の「人工的な単位」とは英語の歴史や慣習に基づく概念なので、日本語から考えると理解できない場合があります。たとえば、黒板に文字を書く"chalk"は<数的概念>のように思いがちですが、実は<量的概念>になります。したがって、"a piece of chalk"(1本のチョーク)のように表現します。これは大ブリテン島南東部にある石灰岩の地層を"chalk"(白亜)と呼ぶことから来ているためです。ちなみに「白亜」の地層は白く見えるため、かつて大ブリテン島は"albion"(白い島)と呼ばれたことがあります。
第4に<非数量概念>があります。<非数量概念>とは「数えたり、量ったりすることのできない概念」を表現するものです。これが前に述べる<量的概念>と併せて、いわゆる<数えられない(uncountable)名詞>ということになります。この概念に属することの多い名詞を<抽象名詞>と言います。ただし、<抽象名詞>は必ずしも<非数量概念>を表現するわけではありません。前に述べた<数的概念>を表現することもあります。
上記をまとめると以下のような表になります。
カテゴリー | 定義 | 使用頻度の多い名詞 | countableか? | 冠詞の有無 |
固有概念 | 話し手と聞き手の間で固有性をもつ概念 主たる性質は<固有性> |
固有名詞 | 数えられる(countable) | 無 |
数的概念 | 人工的な単位を使わなくても数えることのできる概念 主たる性質は<個別性> |
普通名詞 | 数えられる(countable) | 有 |
量的概念 | 人工的な単位を使わないと数えたり、量ったりすることのできない概念 主たる性質は<測定可能性> |
物質名詞 | 数えられない(uncountable) | 無 |
非数量概念 | 数えたり、量ったりすることのできない概念 主たる性質は<抽象性> |
抽象名詞 | 数えられない(uncountable) | 無 |
不定冠詞と定冠詞
不定冠詞と定冠詞はそれぞれ単数・複数の<数>によって以下のように区分されます。
冠詞の種類 | 単数・複数 | 冠詞の形態 | 備考 |
不定冠詞 | 単数 | a(直後の単語が子音で始まる場合) an(直後の単語が母音で始まる場合) |
母音で始まるかどうかはあくまでも発音で判断する。たとえば、hourにはanをつける。 |
複数 | 零記号の冠詞 | 英語には複数名詞につける不定冠詞は存在しないが、「無冠詞」と考えるのは適切ではない。本当の「無冠詞」は単数名詞の場合だけである。たとえば、フランス語には複数名詞につけるdesという不定冠詞がある。 | |
定冠詞 | 単数 | the | |
複数 | the |
固有名詞が固有概念を表さない事例
<固有名詞>が<固有概念>を表現しない事例として、たとえば、"a Mr. Smith" や "a certain Mr. Smith"「スミスさんとかいう人」があります。"Mr. Smith"に不定冠詞がついているのは、話し手にとって相手を特定できないので、<固有概念>として認識できず、<数的概念>として認識し、表現しているためです。また"a Picasso"(ピカソのような画家)や"a Kennedy"(ケネディ家の人)も話し手にとって<固有概念>を認識できず、<数的概念>として認識し、表現していることになります。
普通名詞が数的概念を表さない事例
<普通名詞>が<数的概念>を表現しない事例として、たとえば、"go to school"「学校に行く」の"school"や"go to church"「教会に行く」の"church" 、"go to hospital"「病院に行く」の"hospital"があります。これらは普通名詞ですが、冠詞がついていません。これは単に「学校という建物のところへ行く」とか「教会という建物のところに行く」という意味ではなく、「学校に行って勉強する」とか「教会に行ってお祈りをする」、「病院に行って治療を受ける」という意味になるので、単なる建物として認識しているわけではありません。したがって、<数的概念>ではなく、<非数量概念>として表現していることになります。このため無冠詞になるのです。物騒な話ですが、爆弾を仕掛けるなどのように本来の目的以外の理由で上記の建物を訪れる場合は、単なる建物として認識するので、<非数量概念>ではなく、<数的概念>となるので、"go to the school"とか"go to the church"のようになります。
"a chicken"「(一羽の)鶏」では冠詞がついているのに"chicken"「鶏肉」では冠詞がついていないのは、"a chicken"「(一羽の)鶏」が<数的概念>を表現しているのに対し、"chicken"「鶏肉」が<量的概念>を表現しているためです。英語では「ノルマン人の征服」によって家畜名が"an ox"「牛」、"a swine"「豚」、"a sheep"「羊」となるのに対し、食肉加工されると"beef"「牛肉」、"pork"「豚肉」、"mutton"「羊肉」のように異なる名詞を使用しているため、わかりにくくなっていますが、<数的概念>には冠詞がつき、<量的概念>には冠詞がつかないのです。辞書では"dog"は「数えられる名詞」としてしか表示されていないと思いますが、無冠詞で表現することも不可能ではありません。たとえば、"I like dogs."「私は犬が好きだ」と"I like dog."「私は犬の肉が好きだ」という意味の違いもここから生じるのです(もちろん、猫なら何でも好きというつもりで"I like a cat."などというと「私はある[あなたの知らない特定の1匹の]ネコが好きだ」(「SKYWARD総合英語」P372)という意味の英文になってしまいます。)
"hair"を<数的概念>として認識するのは1本1本の髪の毛を認識する場合です。この場合には冠詞がつきます。これに対し、たとえばカツラを作る材料として、ある程度まとまった量の髪の毛を認識する場合には<量的概念>として認識しますので、無冠詞になります。<普通名詞>だから<数的概念>を表すと考えるのは、言語表現からどのような認識をしているかを決めつけることになってしまいます。こうしたことが誤った説明を生み出すもとになっているのです。
"money"は「数えられる名詞」に属するのではないかと思いがちですが、"money"は通常、円・ポンド・ドル・ユーロ・ルーブルなどの通貨という人工的に作られた単位で数えます。従って、上記の<量的概念>に該当することになり、無冠詞となります(定冠詞がつくこともありますが、その場合は<数的概念>として表現しているということになります)。
また、<数的概念>に属するものは<数的任意概念>でなければ、<数的既知概念>になるとは限らないという点にも注意が必要です。いいかえれば、「不定冠詞」が付かない<数的概念>には必ず「定冠詞」をつけるとは限らないのです。例えば、"play the piano"という表現では"the"を使うと文法書では説明していますが、ネイティブ・スピーカーの中には無冠詞でも良いとする見解を持つ人がいます。
物質名詞が量的概念を表さない事例
<物質名詞>が<量的概念>を表現しない事例として、たとえば、"milk"をホルスタイン種の"milk"とジャージー種の"milk"のように種類で認識して、表現する場合などが該当します。
最後に
通常は、固有名詞・普通名詞・物質名詞・抽象名詞などのように表現された結果から説明されることが多いようです。このため、普通名詞でも無冠詞になることもありますし、物質名詞や抽象名詞でも冠詞がつくこともあるという説明になってしまいます。さらに名詞の複数形で不定冠詞がつかないことを「零記号の冠詞」と捉えずに、無冠詞であると説明している場合もあるため、訳のわからないものになってしまうのです。上記のように<数的概念>や<量的概念>、<非数量概念>という人間の認識という側を起点としないと冠詞について真に理解することはできません。
また、日本語には、「助数詞」といって、名詞を数える際にそれぞれの名詞に合わせた特定の表現をします。たとえば、「人(ひと)」を数えるときは「人(にん)」、動物でも比較的小型の動物は「匹」、大型の動物は「頭」、ただしウサギや鳥は「羽」などのようになっているので、人工的な単位といわれてもわかりにくいかもしれませんが、英語などでは上記のような概念に分かれているのです。
ちなみに、英語では上記のように<数的概念>だけに冠詞をつけますが、フランス語では<量的概念>につける冠詞があります。これを「部分冠詞」といいます(部分だけを表現するわけではないので、不適切な文法用語ではありますが、このように呼ばれています)。