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古代ギリシア語での「定形動詞の階層構造(その2)」
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英語での「定形動詞の階層構造(その2)」
英語での「定形動詞の階層構造(その2)」

I-B-4.ラテン語文法の全体構造

定形動詞の階層構造(その2)

時制(Tense)—主観的な観点から表現対象に対する「遠近感」を表現する階層

時制(Tense)とは、「主観的な観点から表現対象に対する「遠近感」を表現する」定形動詞の階層構造の1つです。従来は相(Aspect)と併せて<時制>であるかのように思われていたものですが、これはきちんと分けて理解する必要があります。なお、下記で説明する<時制>は事実法[事実法]の場合に関することで、反実法[接続法]における<時制>とは異なります。

時制を理解するには、言語過程説の<(表現)対象-認識-表現>というプロセスに基づかなければ、正しく理解することはできません。

まず、<(表現)対象>というプロセスは<客観時間>によって認識します。この<客観時間>は<物理的な時間>ということもできますが、時々刻々過去から未来に向かって移動しているのが、この<(表現)対象>というプロセスになります。<(表現)対象>は現実に存在するものそのものではなく、あくまでも人間の頭の中にあるものですので、他人が見たり聞いたりすることはできません。

次に、<認識>というプロセスは<主観時間>によって認識します。この<主観時間>は<心理的な時間>ということもできますが、過去でも未来でも自由に移動することができるのが<認識>というプロセスになります。この<認識>というプロセスも人間の頭の中にあるものですので、他人が見たり聞いたりすることはできません。

最後に、<表現>というプロセスは<実行>することによって実現します。実行するのは現在だけしかできませんので、<表現>というプロセスは<現在>にしか存在しません。この<表現>というプロセスは現実の世界で発話したり、文字を書いたりする行為そのものを指し、他人が見たり、聞いたりすることが可能なので、その点で<(表現)対象>や<認識>というプロセスとは異なります。

なお、下記に示す図は愛知県立大学の鈴木覺名誉教授が『言語過程説の探求 第1巻 時枝学説の継承と三浦理論の展開』の中の「フランス語時称体系試論」で記載された図をもとに私が一部修正を行ったものです。



現在時制(Present Tense)

<現在時制(Present Tense)>は、客観的に認識した表現対象の動作や行為の時点と主観的に認識する時点が一致している(または「近い」)関係を表します。したがって、主観的な時間や客観的時間が<現在>であることを表現するとは限りません。

単回遂行相現在時制(ラテン語では「現在形」で表現する)

まず、<単回遂行相>の現在時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では現在形で表現します。

        単回遂行相の現在時制の図
   

まず、客観時間の過去であるA点、客観時間の現在であるB点、客観時間の未来であるC点のすべてを<表現対象>とすることが可能です。客観時間の過去であるA点を表現する場合には、客観時間のA点と同じ時点である主観時間のX点に移動して認識します。また、客観時間の現在であるB点を表現する場合には、客観時間のB点と同じ時点である主観時間のY点に移動して認識します。さらに、客観時間の現在であるC点を表現する場合には、客観時間のC点と同じ時点である主観時間のZ点に移動して認識します。

上記のような認識を行った上で、すべて、そのまま直接に<表現>というプロセスに移動します。これ以外の時制では、一般的には一度、主観時間の現在に戻ってから、<表現>というプロセスに移動しますが、現在時制では、認識したものをそのまま表現しています。

上記のように各々、主観時間を客観時間と同じ時点に一致させて認識しますので、表現対象に感情移入していることもよくあります。少なくとも表現対象と時間的にも心理的にも「非常に近い」という認識をしていることになります。また、現在時制で客観時間の過去であるA点を表現することを特に「歴史的現在」と呼びます。

さらに現在時制は<過去から未来に向けてある程度の幅のある時間>を対象としているかのように解説している文法書もありますが、これは誤りです。上記のように主観時間のX点から客観時間の過去であるA点を認識したり、主観時間のY点から客観時間の現在であるB点を認識したり、主観時間のZ点から客観時間の未来であるC点を認識したりしたことをまとめて表現する場合に、結果として時間的な幅ができているだけなのです。例えば、習慣として行っていることを表現する場合がこれにあたります。

また、<一般的な真理や法則>を表現するときにも現在時制を使いますが、これも習慣と同様に過去から未来まで無数の認識を1つにまとめて表現しているため、時間的な幅があるように見えるだけなのです。<一般的な真理や法則>が<過去から未来に向けてある程度の幅のある時間>にしか通用しないとすれば、おかしな話だと言わなければなりません。

また、<単回遂行相>とは、動詞の階層構造の1つで、実際の動作・行為が開始から終了まで一定の時間経過が存在するにもかかわらず、その時間経過を一切無視して、開始から終了まであたかも一瞬の出来事であるかのように表現するものです。このため、<瞬時相>ともよばれます。また、動作の開始から終了までのすべてを表現対象とします。

進行相現在時制(ラテン語では「現在形」で表現する)

次に、<進行相>の現在時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では現在形で表現します。

        進行相の現在時制の図
    

<進行相>は動作・行為が実行中(進行中)であることを示すものです。単回遂行相との違いは、客観時間において、客観時間の過去であるA点の前後ではm点からn点まで、客観時間の現在であるB点の前後ではp点からq点まで、客観時間の未来であるC点の前後ではs点からt点までの動きがある点です。これらの客観時間にあるすべてを<表現対象>とすることが可能です。客観時間の過去であるA点を表現する場合には、客観時間のA点と同じ時点である主観時間のX点に移動して認識します。また、客観時間の現在であるB点を表現する場合には、客観時間のB点と同じ時点である主観時間のY点に移動して認識します。さらに、客観時間の現在であるC点を表現する場合には、客観時間のC点と同じ時点である主観時間のZ点に移動して認識します。

完了相現在時制(ラテン語では「現在完了形」で表現する)

また、<完了相>の現在時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では現在完了形で表現します。

        完了相の現在時制の図
    

現在完了形は、以下のような2つの条件をすべて満たす表現です。ラテン語の現在完了には、下記のように「完了」と「経験」を意味することはありますが、いわゆる「継続」を意味することはありません。

  1. 表現対象の動作や行為が客観的に見たときの<現在時点を終点とする期間の中で>完了していること(一般には完了したのがいつなのか明示されていません)
  2. <完了したこと>を現在まで記憶していること

したがって、<完了相>の現在時制を表現する現在完了形は、期間を示す対格の名詞・名詞句や副詞句・副詞節などをつけることができますが、期間の終点は現在でなければなりません。



過去時制(Past Tense)

客観的に認識した表現対象の動作や行為の時点が主観的に認識する時点から見て、過去に向かって<遠い>関係であることを表します。

単回遂行相過去時制(ラテン語では「現在完了形」で表現する)

<単回遂行相>の過去時制を図示すると以下のようになります。

        単回遂行相の過去時制の図
     

<単回遂行相>の過去時制はラテン語では現在完了形で表現します(この現在完了形の用法を特に「歴史的完了」と呼ぶことがあります。また、古代ギリシア語の<アオリスト>のように<単回遂行相>の過去時制だけを表現する形態はラテン語にはありません)。

<単回遂行相>の過去時制は、<単回遂行相>の現在時制と異なり、時間的にも心理的にも<遠い>と認識される対象であることを表現しています。したがって、表現したい対象が現在どうなっているかについては、何もわかりません。むしろ、過去時制で認識したときとは全く異なる状況になっている可能性があります。

<単回遂行相>の過去時制を表現する現在完了形は、時点を示す副詞句・副詞節などをつけることができますが、期間を示す対格の名詞・名詞句や副詞句・副詞節などをつけることはできません。ラテン語では同じ現在完了形でも異なる内容を示すことがありますので、注意が必要です。

完了相過去時制(ラテン語では「過去完了形」で表現する)

つぎに<完了相>の過去時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では過去完了形で表現します。

        完了相の過去時制の図
     

過去完了形は、以下のような2つの条件をすべて満たす表現です。ラテン語の過去完了には、下記のように「完了」と「経験」を意味することはありますが、いわゆる「継続」を意味することはありません。

  1. 表現対象の動作や行為が客観的に見たときの<過去の一時点を終点とする期間の中で>完了していること(一般には完了したのがいつなのか明示されていません)
  2. <完了したこと>を過去の一時点まで記憶していること

したがって、<完了相>の過去時制を表現する過去完了形は、期間を示す対格の名詞・名詞句や副詞句・副詞節などをつけることができます。



未完了時制(Imperfect Tense)

表現対象の動作や行為の時間軸が主観的な時間軸から見て過去にあるが、主観的な時間軸を現在から過去へ移動させて、表現対象の動作や行為の時間軸と一致させた上で一度認識し、主観的な時間軸を過去から現在に戻して、実際には一致していないことを再認識した関係を表します。

進行相未完了時制(ラテン語では「未完了形」で表現する)

<未完了時制(Imperfect Tense)>は、客観時間の過去であるA点を主観時間のX点と主観時間のY点で二重に認識することが特徴です。未完了時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では未完了形で表現します。

        未完了時制の図
     

<未完了時制(Imperfect Tense)>は、まず、客観時間の過去であるA点と同じ時点である主観時間のX点に移動して認識します。その後、主観時間の現在であるY点に移動して、客観時間のA点は過去の事象であったと再認識をします。このとき、客観時間の過去であるA点を同じ時点である主観時間のX点から認識するのは、現在時制と同じ認識の仕方をしていますので、現在時制と同様に感情移入を行っていることがよくあります。少なくとも客観時間のA点で起きた出来事と「近い」と話し手が認識するような表現方法であることになります。



未来時制(Future Tense)

表現対象の動作や行為の時間軸が主観的な時間軸から見て未来にある場合、主観的な時間軸を現在から未来へ移動させて、表現対象の動作や行為の時間軸と一致させた上で一度認識し、主観的な時間軸を未来から現在に戻して、実際には一致していないことを再認識した関係を表します。

単数遂行相未来時制(ラテン語では「未来形」で表現する)

<未来時制(Future Tense)>は、客観時間の未来であるC点を主観時間のZ点と主観時間のY点で二重に認識することが特徴です。<単回遂行相>の未来時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では未来形で表現します。

        未来時制の図
     

<未来時制(Future Tense)>は、まず、客観時間の未来であるC点と同じ時点である主観時間のZ点に移動して認識します。その後、主観時間の現在であるY点に移動して、客観時間のC点は未来の事象であったと再認識をします。このとき、客観時間の未来であるC点を同じ時点である主観時間のZ点から認識するのは、現在時制と同じ認識の仕方をしていますので、現在時制と同様に感情移入を行っていることがよくあります。少なくとも客観時間のC点で起きた出来事と「近い」と話し手が認識するような表現方法であることになります。

英語の参考書などではこの未来時制をwillを使った表現で翻訳していることから、英語のwillは未来時制を表していると述べていることがありますが、これは誤りです。あくまでも英語のwillは<予想・予測・思い込み>を示している表現に過ぎないので、未来時制にはなりません。これはドイツ語の<werden+動詞の原形不定形>を使用した表現が一般に未来時制と呼ばれているものの実は未来時制ではないことと同様です。このことは英語で "It is Sunday tomorrow." 、ドイツ語で "Morgen ist Sonntag." (明日は日曜日だ)という表現は存在しますが、 "It will be Sunday tomorrow." とか、 "Morgen wird Sonntag sein." などと(通常は)言わないことから考えても明らかです( "It will be Sunday tomorrow." や "Morgen wird Sonntag sein." では、「明日は日曜日のはずだ」とか「明日は間違いなく日曜日だ」のような意味になってしまいます)。

進行相未来時制(ラテン語では「未来形」で表現する)

つぎに、<進行相>の未来時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では未来形で表現します。

        未来進行形の図
     

完了相未来時制(ラテン語では「未来完了形」で表現する)

さらに、<完了相>の未来時制を図示すると以下のようになります。ラテン語では未来完了形で表現します。

        未来完了形の図
     

未来完了形は、以下のような2つの条件をすべて満たす表現です。ラテン語の未来完了には、下記のように「完了」と「経験」を意味することはありますが、いわゆる「継続」を意味することはありません。

  1. 表現対象の動作や行為が客観的に見たときの<未来の一時点を終点とする期間の中で>完了していること(一般には完了したのがいつなのか明示されていません)
  2. <完了したこと>を未来の一時点まで記憶していると考えられること


人称(Person)—情報発信者から見た主題に対する関係を表現する階層

「話し手」から見た定形動詞の主題との関係を示します。「話し手」は場面によって以下の表のようにそれぞれ異なっています。

第1人称(First Person)

話し手[情報発信者]から見て、話し手[情報発信者]を定形動詞の主題とする場合に用います。

第2人称(Second Person)

話し手[情報発信者]から見て、聞き手[情報受信者]を定形動詞の主題とする場合に用います。

第3人称(Third Person)

話し手[情報発信者]から見て、話し手[情報発信者]でも聞き手[情報受信者]でもない第三者を定形動詞の主題とする場合に用います。


※上記の話し手[情報発信者]や聞き手[情報受信者]は、使用される場面によって、以下の表のようにさまざまに異なっています。例えば、通常の会話や小説の会話の部分については「話し手」ですが、小説の地の文では「語り手」となります。

また、第1人称は「話し手」そのものを指すのではなく、「話し手」から見た「話し手」という<関係>を指しています。いわゆる「人称代名詞」は、主として、この<関係>だけを示しているという点が、性別や年齢・身分などとは無関係に使用できる要因となっています。日本語には「人称代名詞」が多数存在するという誤った言説がありますが、主として<関係>だけを示すということが理解できていないだけなのです。

これらを表にまとめると以下のようになります。

場面 第1人称 第2人称 第3人称
通常の会話や小説の会話部分 話し手(the speaker)
から見た
話し手(the speaker)
に対する関係
話し手(the speaker)
から見た
聞き手(the listener)
に対する関係
話し手(the speaker)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係
小説の地の文 語り手(the narrator)
から見た
語り手(the narrator)
に対する関係
語り手(the narrator)
から見た
読者(the reader)
に対する関係
語り手(the narrator)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係
手紙
書簡体小説(手紙の形式にした小説)
差出人(the sender)
から見た
差出人(the sender)
に対する関係
差出人(the sender)
から見た
受取人(the receiver)
に対する関係
差出人(the sender)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係
論説文 筆者・執筆者
(the writer)
から見た
筆者・執筆者
(the writer)
に対する関係
筆者・執筆者
(the writer)
から見た
読者(the reader)
に対する関係
筆者・執筆者(the writer)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係


数(Number)—情報発信者から見た主題の数を表現する階層

定形動詞の主題の「数」を示します。

単数(Single)

定形動詞の主題が単独であることを表します。

複数(Plural)

定形動詞の主題が複数であることを表します。



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