■日本人のための古代ギリシア語(古典ギリシア語)

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ラテン語での「定形動詞の階層構造(その1)」
ラテン語での「定形動詞の階層構造(その1)」
英語での「定形動詞の階層構造(その1)」
英語での「定形動詞の階層構造(その1)」

I-B-4.古代ギリシア語文法の全体構造

定形動詞の階層構造(その1)

法(Mood)—主観的な観点から表現対象を事実だと思っているかどうかを表現する階層

法(Mood)とは、「話し手(厳密には情報発信者)が表現対象を主観的な観点からどのように捉えているか」を示す定形動詞の階層の1つです。

それでは、一般的にはどのように説明されているのでしょうか。特に古代ギリシア語(古典ギリシア語)の参考書や英文法の参考書から見てみることにしましょう。

"Kaegi's Greek Grammar"では以下のような説明になっています。

The indicative mood expresses in general the relation of reality and, in consequence, has its proper place in declaratory sentences. In this the Greek is not at variance with our idiom. However, there are some uses of the indicative peculiar to Greek.(172)

The subjunctive is the mood of anticipation,inasmuch as it expresses that the speaker anticipates somthing to happen or to be done.(173)

【試訳】「直説法は一般に現実との関係を表現する、したがって、宣言文で使用するのが正しい用法である。この点でギリシア語はわれわれの言語と大きな違いはない。ただし、ギリシア語特有の直説法の用法がいくつかある。」(172)

【試訳】「接続法は、話し手が何か起きたり、行われたりするのではないかと予期することを表現しているので、予期することを表す叙法である。」(173)

また、"Complete Ancient Greek:A Teach Yourself Guide"では以下のような説明になっています。

Mood is a characteristic of all finite forms of the Greek verb (i.e. those that can stand alone in a clause). Up to now we have dealt only with the indicative, the mood used for facts. There are three other moods, the imperative, which expresses commands (17.1/1), and the subjunctive and optative. In a main clause the subjunctive can express the will of the subject, (snip) which optative can express the wish of the speaker, (snip). (Unit 14)

【試訳】「法とはギリシア語の定形動詞(すなわち、1つの節には1つしかないもの)すべてに特有なものである。これまで、事実について使われる直説法だけを扱ってきたが、他に3つの法、すなわち命令を表現する命令法、接続法、希求法がある。主節では、接続法は主語の意思を表し、(中略)希求法は話し手の意思を表す(中略)。」(Unit 14 167ページ)

上記の説明では「話し手の主観から見たものである」ということがきちんと定義されていないようです。これに対し、「現代英文法講義」(安藤貞雄著 2005年刊)では以下のようになっています。なお、引用文中の「細江(1933)」は細江逸記著『動詞叙法の研究』(泰文堂刊)のことです。

さらに、叙実法(indicative mood)の「事実として」に関する注として以下のように述べています。

上記の説明では、叙実法の「事実として」はいいのですが、叙想法については、叙想法だけが「話し手の心の中で考えられたこと」というように受け取られてしまうのではないかと思います。実際には直説法[叙実法・事実法]も命令法も接続法[叙想法・反実法]もすべて、「話し手の心の中で考えられたこと」を表していますので、客観的に見たときにはどうなっているかについては、「法(Mood)」だけを見てもわかりません。

上記のさまざまな定義を踏まえて、古代ギリシア語における法(Mood)を考えてみると、以下のような4種類があると考えます。なお、法(Mood)は、時制(Tense)や人称(Person)と同様に定形動詞にしか存在しない階層です。

また、Moodの訳語として一般には「法」が使われていますが、日本語としては「調」のほうが適切ではないかと思います。

  1. 事実法[直説法・叙実法](Factive Mood)(Indicative Mood)
  2. 命令法(Imperative Mood)
  3. 第1反実法[接続法](First Fictive Mood)(Subjunctive Mood)
  4. 第2反実法[希求法](Second Fictive Mood)(Optative Mood)

それでは、個別に説明していきましょう。



事実法[事実法](Factive Mood)(Indicative Mood)

事実法(factive mood)とは、「話し手(情報発信者)が表現対象を<事実だと思って>表現していることを表す定形動詞の階層構造の1つです」。したがって、単に「事実を述べる」とか「事実を表現する」という定義では誤りになります。また、「事実法」で表現されているからといって、客観的に見たときに「事実」であるかどうかについては何の保証もありません。むしろ、客観的に見たときには「事実ではない」こともあります。

上記の「話し手」については、それぞれの場面ごとにさまざまに異なっています。例えば、通常の会話や小説の会話の部分については「話し手」ですが、小説の地の文では「語り手」となります。

また、第1人称は「話し手」そのものを指すのではなく、「話し手」から見た「話し手」という<関係>を指しています。いわゆる「人称代名詞」は、主として、この<関係>だけを示しているという点が、性別や年齢・身分などとは無関係に使用できる要因となっています。日本語には「人称代名詞」が多数存在するという誤った言説がありますが、主として<関係>だけを示すということが理解できていないだけなのです。

これらを表にまとめると以下のようになります。

場面 第1人称 第2人称 第3人称
通常の会話や小説の会話部分 話し手(the speaker)
から見た
話し手(the speaker)
に対する関係
話し手(the speaker)
から見た
聞き手(the listener)
に対する関係
話し手(the speaker)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係
小説の地の文 語り手(the narrator)
から見た
語り手(the narrator)
に対する関係
語り手(the narrator)
から見た
読者(the reader)
に対する関係
語り手(the narrator)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係
手紙
書簡体小説(手紙の形式にした小説)
差出人(the sender)
から見た
差出人(the sender)
に対する関係
差出人(the sender)
から見た
受取人(the receiver)
に対する関係
差出人(the sender)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係
論説文 筆者・執筆者
(the writer)
から見た
筆者・執筆者
(the writer)
に対する関係
筆者・執筆者
(the writer)
から見た
読者(the reader)
に対する関係
筆者・執筆者(the writer)
から見た
第三者(the third person)
に対する関係


命令法(Imperative Mood)

命令法(imperative mood)とは、「話し手(情報発信者)が表現対象を現状では事実ではないが、事実にしたいと思っていることを表す定形動詞の階層構造の1つです」。したがって、「命令」や「勧誘」、「祈願」などを表現したい場合に命令法を使用します。



第1反実法[接続法](First Fictive Mood)(Subjunctive Mood)

第1反実法[接続法](First Fictive Mood)(Subjunctive Mood)とは、「話し手(情報発信者)が表現対象を事実だと思っていない、または事実かどうかの判断を留保していることを表す定形動詞の階層構造の1つです」。事実かどうかの判断を留保している」というのは、「事実であるとも明言しないし、事実でないとも明言しない」ということで、間接話法などに用いられます。多くの文法書では「接続法(Subjunctive Mood)」と呼んでいますが、これは従属節で多く使用されていることから命名されている言葉です。しかし、実際の反実法(Fictive Mood)は従属節だけではなく、主節でも使用されているので、「接続法」という名称では不適切です。

「叙想法(subjunctive mood)という言い方もありますが、「心の中で想って」いるのは「叙想法」だけではなく、「事実法[事実法]」や「命令法」も同じなので、この用語も適切とは言えません。

間接話法では現在形・未来形・現在完了形・未来完了形などの1次時制が主節の定形動詞になったときの従属節の定形動詞は第1反実法[接続法](First Fictive Mood)(Subjunctive Mood)になります。



第2反実法[希求法](Second Fictive Mood)(Optative Mood)

第2反実法[希求法](Second Fictive Mood)(Optative Mood)とは、「話し手(情報発信者)が表現対象を事実だと思っていない、または事実かどうかの判断を留保していることを表す定形動詞の階層構造の1つです」。「事実かどうかの判断を留保している」というのは、「事実であるとも明言しないし、事実でないとも明言しない」ということで、間接話法などに用いられます。多くの文法書では「希求法(Optative Mood)」と呼んでいますが、これは祈願文などで使用されることから命名されている言葉です。しかし、実際には祈願文以外にも従属節で多く使用されていることから考えても、「希求法」という名称は不適切です。

「第1反実法[接続法](First Fictive Mood)(Subjunctive Mood)」との違いは「第2反実法[希求法](Second Fictive Mood)(Optative Mood)」のほうが、さらに事実だと思っていないとか、事実だと判断できない度合いが高くなっている点にあります。

間接話法では未完了形・アオリスト・過去完了形などの2次時制が主節の定形動詞になったときの従属節の定形動詞は第2反実法[希求法](Second Fictive Mood)(Optative Mood)になります。




態(Voice)—客観的な観点から主題が原因を示すかどうかを表現する階層

態(Voice)とは、「節の主題が動作・行為の原因となるかどうかを客観的な観点から表す」定形動詞の階層の1つです。具体的には以下の3つに分かれています。なお、この階層は「他動詞」の場合にしかありません。

従来は<相>という訳語になっていましたが、現在では<態>という訳語にしている場合が増えているようです。しかし、分詞や不定詞が<態>と<相>の組み合わせ(これも従来は<態>と<時制>の組み合わせという誤った説明が行われている場合があります)で種類が分かれていることを考えると、<現在分詞>を<能動態進行相分詞>というよりも、<能動進行相分詞>あるいは<能動進行分詞>と表現したほうが良いのではないかと思います。こうした点から考えると、従来通り、<相>という訳語でも良いような気もします。

古代ギリシア語(古典ギリシア語)における態(Voice)には以下のような3種類があると考えます。なお、態(Voice)は、法(Mood)や時制(Tense)、人称(Person)と異なり、定形動詞以外に分詞や不定詞などにも存在する階層です。



原因能動態(Causal Active Voice)[能動態(Active Voice)]

原因能動態(Causal Active Voice)[能動態(Active Voice)]は、主題[主語]となる表現対象が定形動詞から見て、

  1. (定形)動詞の主題が<原因と考えられる>こと
  2. (定形)動詞の目的語が、<原因と考えられる>(定形)動詞の主題とは異なるもの(異なるグループに属するもの)であること

の2つの条件を同時に満足する用法です。対象となる目的語は通常、<原因以外>の言葉となりますが、<原因そのもの>と同じグループに属する場合は、自発態(Spontaneous Voice)[中動態(Middle Voice)]を使います。

通常は「…する」が原因能動態(Causal Active Voice)[能動態(Active Voice)]の意味と考えられがちですが、これは誤りです。原因能動態(Causal Active Voice)の意味は<原因>を主題としていますので、「(原因が)…させる」だけではなく、動作主が意図を持って何かを行った場合、その動作主を原因と考えて、「(動作主が意図を持って)…する」ということを表現したい場合にも使います。



自発態(Spontaneous Voice)[中動態(Middle Voice)]

自発態(Spontaneous Voice)[中動態(Middle Voice)]は原因能動態(Causal Active Voice)[能動態(Active Voice)]では表現できない切り口で表現する場合に使用します。つまり、

  1. (定形)動詞の主題が<原因と考えられるものではない>こと
  2. (定形)動詞の目的語が、<原因と考えられる>(定形)動詞の主題とは同一のもの(同一のグループに属するもの)であること
  3. 原因能動態(Causal Active Voice)[能動態(Active Voice)]では動詞の表す動作の対象となる原因以外の目的語が(定形)動詞の主題となっていること

の3つの条件のうち、どちらか1つを満たすことが条件となります。ただし、他動詞を対象にすることが前提となりますので、<動詞の表す動作の対象となる原因以外の目的語が存在しないこと>は条件にはなりません。したがって、自動詞には<態(Voice)—客観的な観点から主題が原因を示すかどうかを表現する階層>は存在しないことになります。

通常は「…される」が自発受動態(Spontaneous Passive Voice)[受動態(Passive Voice)]の意味と考えられがちですが、これは誤りです。古代ギリシア語の受動態と日本語の<受身形>は重なる部分もありますが、実際には全く異なるものです。自発受動態(Spontaneous Passive Voice)の意味は<原因以外>を主題としていますので、「(原因が影響を及ぼす対象が)…される」だけではなく、動作主が意図せずに何かを行った場合についても、意図せずに行っている以上、原因が<主題>とはなっていないと考えて、「(動作主が意図を持たずに)…する」ということを表現したい場合にも使います。



受動態(Passive Voice)[受動態(Passive Voice)]

主題[主語]となる表現対象が定形動詞から見て、「動作の対象となっている」ことを表します。つまり、

  1. (定形)動詞の主題が<原因と考えられるものではない>こと
  2. 原因能動態(Causal Active Voice)[能動態(Active Voice)]では動詞の表す動作の対象となる原因以外の目的語が(定形)動詞の主題となっていること

の2つの条件のうち、どちらか1つを満たすことが条件となります。

また、Voiceという言葉は「動作主」の"Voice(声)"ということから命名されたと思われますが、「原因」を主題とする考え方からすれば"View"ということばのほうが適切ではないかと思います。"View"の訳語は「観」がよいのではないかと思います。




相(Aspect)—客観的な観点から表現対象に対する「時間的認識」を表現する階層

相(Aspect)とは、「表現対象を時間的にどう捉えるかを客観的な観点から表す」定形動詞の階層の1つです。従来は「時制」の中の一部であるかのように混同されていたものです。

単回遂行相(Single Implemented Aspect)

表現対象の動作や行為が一瞬のうちに始まり、終了してしまったかのように表現します(実際の動作・行為には開始から終了まで一定の期間が存在するはずですが、その期間を一切無視して、開始から終了まであたかも一瞬の出来事であるかのように表現します。また、動作の開始から終了までのすべてを表現対象とします)。

状態相(Stative Aspect)

表現対象の動作や行為が継続している(中断できない)状態にあることを表現します。

開始相(Inceptive Aspect)[起動相]

表現対象の動作や行為を<開始>・<実行中>・<完了>という3つに区分したときの<開始>の部分、すなわち<ある期間の中で>始まった状態にあることを表現します。

進行相(Progressive Aspect)

表現対象の動作や行為を<開始>・<実行中>・<完了>という3つに区分したときの<実行中>の部分、すなわち<ある期間の中で>継続している(中断できる)状態にあることを表現します。

完了相(Perfect Aspect)

表現対象の動作や行為を<開始>・<実行中>・<完了>という3つに区分したときの<完了>の部分、すなわち<ある期間の中で>完了している状態にあることを表現しますが、具体的には以下のようになります。

意欲相[動能相](Conative Aspect)

表現対象の動作や行為をしようとしていたことを表現します。

上記のうち、完了相については具体的には以下のようになります。

  1. 表現対象の動作や行為が<認識した時点までの期間の中で>完了していること(すなわち、<いつ>完了したかは問わないことが条件です)。なお、<期間>の始点は不明なことがありますが、終点は認識した時点になります。
  2. <完了したこと>を認識している時点(期間の終点)まで記憶していること
  3. <完了したこと>により、何らかの物理的な変化が生じている場合は、その物理的な変化が認識している時点(期間の終点)まで変化することなく、継続していること

たとえば、現在完了形であれば、具体的には以下のようになります。

  1. 表現対象の動作や行為が客観的に見たときの<現在までの期間の中で>完了していること
  2. <完了したこと>を現在まで記憶していること
  3. <完了したこと>により、何らかの物理的な変化が生じている場合は、その物理的な変化が現在まで変化することなく、継続していること

よく、完了形というと「完了・経験・継続」が代表的な意味になりますが、これらは上記1の条件を強調した表現が「完了」であり、上記2の条件を強調した表現が「経験」であり、上記3の条件を強調した表現が「継続」であるのに過ぎないのです。



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