『二度生まれの男・パウロ物語』
さて、「使徒会議」において、イェルサレムの指導者たちがパウロ的立場を承認せざるを得なかったの
は、異邦人キリスト教徒たちが霊にとらえられているのを、以前にペテロが目撃しており、その体験から
ペテロがパウロを弁護したためでした。この、霊にとらえられているという現象は何を意味しているので
しょうか。
人間は、自分が生まれる時代・社会・父母を選択することはできません。偶然に、運命的に、ある時代
のある社会の特定の父母の子として生まれてきます。生まれたときには、その社会には既に所与の文
化が存在しています。そして、その文化は、選択可能ないくつかあるうちの一つとしてその子に現れる
のではなく、疑いようのない唯一の自明の現実として現れるのです。その子は、その社会の文化を内在
化している父母など、その子にとって重要な意味ある人物たちとの相互関係を通して、その特定の文化
を学習し、習慣化していきます。つまり、第一次的社会化が行われるのです。そうして形成した自分の
世界の中に位置づける形で、自分のアイデンティティを形成していきます。ところが、何らかの理由によ
り、その社会の現実定義の自明性が失われてくると、アイデンティフィケーションの場が失われ、不安が
増大していきます。
ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)にユダヤ教の準団員として参集していたのは、そのような不安を抱え
た異邦人たちだったと思われます。そこに、イェルサレムを追われたギリシア語を話すユダヤ人キリスト
教徒たちが、イエス・キリストのメッセージを携えてやってきたのです。ユダヤ教の神・ヤハウェに魅力を
感じつつも、律法遵守、とりわけ割礼の問題が障害になっていた異邦人の準団員たちにとって、魅力的
なメッセージでした。そして、そのメッセージの受容は、第一次的社会化によって形成したアイデンティ
ティの基本的な部分をも揺るがすような人格変容をもたらしました。
H・S・サリヴァンの言葉を借りれば、<自己態勢>の再編成・世界の再象徴化が行われたのだと考え
られます。第一次的社会化のやり直しです。それは、それまでの現実定義・世界そのものの崩壊、それ
までのアイデンティティーの崩壊をもたらしました。これは、異常な心理状態をもたらします。その心理
状態が古代社会の準拠枠の中で、霊にとらえられていると見なされたのでしょう。
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