『二度生まれの男・パウロ物語』


 これによって、信仰を通して、教会構成員のそれぞれが部族や民族の枠を超えて共同体を結成してい

くという、その後のキリスト教団の方向性が明示されました。しかし、その方向性は、律法遵守を救いの

必要条件とする、ユダヤ人キリスト教徒との抗争をくぐり抜けていくことによって実現されていくのです。

「使徒令」を守ることだけではなく、割礼をも要求し、「違った福音」(ガラ1・6)を宣べ伝えていたのは、

比較的遅くパリサイ派からキリスト教に改宗したユダヤ人たちが中心でした。パウロは、特に、彼らと激

しい抗争を展開していきます。

 「アンテオケ事件」において、ユダヤ人の民族的枠組みを突破し、イェルサレムのユダヤ人キリスト教

徒たちとも思想的立場を異にしたパウロは、ローマ帝国内の各地へと伝道旅行に出かけます。そして、

多くの信者の獲得に成功します。パウロは、なぜそのような成功を収めることができたのでしょうか。そ

の背景としては、当時のヘレニズム社会が崩壊過程にあったということがあげられます。各ポリスの市

民たちが、自分のアイデンティティを、そこにおいて繰り返し再確認することができた、精神的な拠点と

してのポリスという生活領域を失っていたのです。

 人間は、自分にとっての重要な意味ある人物たちとの相互関係を通して、その社会の文化を内在化

しつつ、自分のアイデンティティの基本的な部分を形成します。そして、その社会の世界観(その社会な

りの現実についての定義)の中に位置づける形で、自分のアイデンティティを形成していきます。アイデ

ンティティとは、関係を通して形成されたものですから、成人になっても絶えず関係を通して、自分のア

イデンティティを確認(アイデンティフィケーション)する必要があります。ところが、その当時のヘレニズ

ム社会の人々は、自分のアイデンティティをその中に位置づけるべき現実定義(その社会の世界観)が

自明性を失ってしまい、確認の場を失ってしまったのです。これは、無連帯・無規範のアノミーの危険性

をも伴っていたことでしょう。

 このように、ポリス的秩序を失い、混迷を深めていた人々に救いの手を差しのべるものとして、東方の

宗教が、ミトラス教団などの密儀教団を形成していました。ユダヤ教も、ヘレニズム社会の各地の会堂

(シナゴーグ)にユダヤ教団の準団員という形で、ギリシア人など異邦人信者を獲得していました。最初

に、パウロの思想を受容し、パウロ的立場の担い手となったのは、このユダヤ教団の準団員から改宗

した異邦人キリスト教徒たちだったのです。ユダヤ教キリスト派のセクトから、キリスト教団へと脱皮させ

たのはパウロであり、その最初の担い手が彼らでした。

 
       

      
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