『二度生まれの男・パウロ物語』
キリスト教徒パウロのアイデンティティは、イエス・キリストによって示された、罪人に対する神の一方
的な恵みを、ただ幼子のような信頼感を持って受け入れ、、それによって「義とされた者」・「神に対して
平和を得ている者」と位置づけられました。パウロは、この新しい立場に立ち、そこから一切の事象を意
味づけ、彼自身の世界観を再構築していきます。そして、その世界観に立ったパウロが、古代社会の
準拠枠を突破し、近代人の先駆けとなるのです。
人間の世界観の基本的枠組みの一つは、<時>の観念によって構成されています。キリスト教徒パ
ウロの世界観における<時>の中心は、キリストの十字架と復活の出来事に置かれています。
古代社会においては、歴史意識といった、直線的な<時>の観念を持っていた民族は少数で、大多
数は、円環的な<時>の観念を持っており、歴史意識は希薄なものでした。ユダヤ人たちは、天地創
造から始まり、終末へと向かって流れているという歴史意識を持って生活していた数少ない民族でし
た。
パウロは、その歴史の流れが、十字架と復活の出来事という<時>の中心を与えられ、終末の
<時>へ突入したと信じたのです。翻身以前には、将来において期待されていたに過ぎない終末の日
が、既にそこに突入したと信じられたことにより、<今>が、間近に迫ったキリスト再臨までの緊迫した
関係の中におかれたのです。彼は、自分が生きているうちにキリストの再臨があり、終末が完成すると
信じていました。
「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下って
こられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわ
たしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるで
あろう。」(テサT 4・16−17)
そして、パウロは、アダムからキリストの十字架と復活の出来事までの時代を、「罪が死によって支配
する」(ロマ5・21)時代として一括します。
「このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為
によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。」(ロマ5・18)
「すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリ
シア人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。」(ロマ3・9)
こうして、全人類が「罪の下にある者」として一括され、歴史は、ユダヤ人だけの歴史ではなく、全人
類の歴史として捉えられたのです。
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