『二度生まれの男・パウロ物語』


 それでは、神との新しい関係の仕方とは、どのようなものだったのでしょうか。パウロが、切実に希求

していたものは、「神に対して平和を得ている」関係でした。それは、彼の原体験から形成された「イエ

スこそキリストである」というクレドーによって、神の承認を得ようと人間の側から努力するという方向性

を全面的に放棄することによって得られたのです。

 「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神

の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」(ロマ3・23−24)

 「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認

めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリスト

を信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされるこ

とがないからである。」(ガラ2・16)

 変わったのは、パウロのアイデンティティーだけではありませんでした。パウロの神観念も変わったの

です。彼が関係を持っている神の性格も変わったということです。キリスト教徒パウロにとって、神は、

律法違反を罰する恐ろしい怒りの神ではなく、罪人であるすべての人間のあがないのために、自分の

子を死にわたされた愛の神に変わりました。

 「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわた

したちに対する愛を示されたのである。」(ロマ5・8)


        

      
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