『二度生まれの男・パウロ物語』


 人間的な功績によって神の義を得ようとする、「ユダヤ教徒パウロ」の律法主義的な、神との関係の

仕方は、<自己>に統合できない諸体験を蓄積させ、救いようのない内面的分裂をもたらしました。「イ

エスこそキリストである」というクレドーを形成したパウロは、神との新しい関係の仕方を獲得することが

でき、その内面的分裂からの救いを得たのです。

 幼児期の<自己>は、母親などの重要人物からの承認・不承認によって、その基本的な構造が形成

されます。成人したパウロの<自己>は、神からの承認・不承認によって、基本的に規定されていまし

た。そして、律法主義的な神との関係の仕方は、「神に対して平和を得ている」(ロマ5・1)関係、つま

り、神から承認を得ている関係を維持しようと努めれば努めるほど、<自己>に統合できない諸体験を

蓄積していくことになり、内面的分裂が深まっていくということになります。

 それでは、神との新しい関係の仕方とは、どのようなものだったのでしょうか。

 神との新しい関係の仕方をみていく前に、パウロが翻身以前にキリスト教徒から聞いていたメッセー

ジとはどのようなものであったか、確認しておきましょう。

 『新約聖書』の一編である「コリント人への第一の手紙」に、パウロはそのメッセージについて述べて

います。

 「わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわ

ちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖

書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。」

(コリT 15・3−5)

 パウロは、彼の原体験によって、そのメッセージが真実であると確信したのです。


        

      
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