『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「病気であった光明皇太后を看病するためという理由になっているけれども、仲麻呂が、より自分の
思い通りに動いてくれそうな人物ということで、淳仁天皇を担ぎ出したんだと思う。」
「孝謙天皇は、どうやって再び天皇位に就くことができたの?」
「淳仁天皇に譲位した後、孝謙上皇は鬱状態になっていたらしい。そして、その頃、道鏡は御所内
の内道場の看病禅師となっていた。道鏡は五十歳前後で、山岳修行で鍛えられた体力・精神力は並
外れていたらしい。道鏡に接した孝謙上皇は、しだいに精神力を回復していった。その過程で、上皇
と道鏡の間に深い信頼関係が築かれていったものと思われる。
そして、精神的に立ち直った孝謙上皇は、淳仁天皇を廃帝し、重祚しようと企てる。その頃、実権を
握っていたのは藤原仲麻呂で、軍事力も完全に握っていた。それゆえにこそ、油断があったと思う。
孝謙上皇は道鏡の補佐を受けて、左遷されていた吉備真備を都に呼び寄せ、果断にクーデターを実
行した。まず、淳仁天皇から軍事指揮権の象徴である鈴印(れいいん)を奪い、上皇側を官軍とし仲
麻呂を賊軍とすることによって形勢を逆転させ、仲麻呂を打倒したんだ。
このクーデターが成功した背景には、仲麻呂の朝鮮半島政策があったと思う。彼は新羅征伐を計
画していた。しかし、内心ではそれに反対していた貴族たちも多かったに違いない。それと、上皇と
道鏡は、軍事面の作戦に関しては吉備真備を信頼し、一切を彼に委ねたことがクーデターを成功に
導いた理由の一つであったと思う。」
「重祚し、称徳天皇となった後、称徳天皇は天皇位を道鏡に譲位しようとしたっていうのは本当な
の?」
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