『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「749年(天平感宝1年)に、聖武天皇は娘の安倍内親王(あべのひめみこ)に譲位し、太上天皇と

なる。生前に譲位した初めての男性天皇なんだ。安倍内親王は女性で皇太子となった初めての人な

んだけれども、孝謙天皇として即位する。しかし、実権は太上天皇を後ろ盾とする橘諸兄らが握って

いた。

 さて、藤原一族の動向というと、不比等の娘である光明皇后は、孝謙天皇即位後、皇后宮職(こう

ごうぐうしょく)を紫微中台(しびちゅうだい)と改称し、その長官に藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)

を任命し巻き返しを窺っていた。」

 「藤原仲麻呂って、どういう人物なの?」

 「彼は武智麻呂の息子で、光明皇后の甥にあたる人物なんだ。彼は、皇太后を後ろ盾にして軍権も

握っていき、しだいに左大臣・橘諸兄を圧倒していき、756年(天平勝宝8年)に陰謀を企んで橘諸兄

を左大臣辞任に追い込んでしまう。そして、同年、太上天皇が崩御すると、完全に朝廷の実力者とな

った。そして、758年(天平宝字2年)に孝謙天皇が譲位し、淳仁(じゅんにん)天皇が即位する。」

 「孝謙天皇は、まだ譲位するような年齢ではなかったんでしょ。どうして譲位したの?」

 
     

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