『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「さっき話したように、持統天皇の原体験からのクレドー《思想の核となる信念》は、『握った権力は
絶対に手放してはいけない』というものだったに違いない。だから、息子の草壁皇子(くさかべのみ
こ)を天皇にするために、まずは自分が称制という形で権力を握り、草壁の最大のライバルだった大
津皇子を葬ったんだ。ところが、息子の草壁が即位する前に亡くなってしまった。そこで、まずは自分
が天皇になった。」
「問題は次の天皇を誰にするかだよね。」
「そうなんだ。有資格者はたくさんいて、その中でも、高市皇子(たけちのみこ)、長皇子(ながのみ
こ)の二人が最有力だった。しかし、高市皇子が696年(持統10年)に亡くなってしまった。そうなる
と、最有力者は長皇子ということになる。長皇子は、母が天智の娘で血統的には申し分ない。そし
て、弟の弓削皇子(ゆげのみこ)が強烈に兄の立太子を推していた。」
「でも、持統は孫の軽皇子(かるのみこ)を皇太子にしたかったんだよね。」
「そうなんだけれども、天皇の孫が次の天皇になるという先例がなかったし、血統的に申し分のな
いライバルが他にもいて、へたをすると反乱が起きかねないという状況だった。」
「分かった。そこで活躍したのが史だったんでしょ。」
「その通り。史は刑部皇子(おさかべのみこ)を取り込んだり、大友皇子の息子の葛野王(かどのお
う)に会議でのシナリオを授けたりなど、充分に根回しをして皇太子を決める会議に備えた。その結
果、軽皇子の立太子が決まり、その功績で出世していったんだ。」
「史が出世していったのは、それだけではなかったんでしょ。」
「697年(持統11年)5月、後宮に若い女人が数人入った。その中の一人に、史の娘・宮子(みやこ
14歳)がいた。史の次の狙いは、宮子が軽皇子との間に男の子を産み、後々、その子を天皇にす
ることだった。史のその野望に協力したのは、軽皇子の養育係の県犬養三千代(あがたのいぬかい
のみちよ)だった。三千代は人妻だったんだけれども、史は、彼女の夫を九州太宰府に左遷させ、ま
ずは三千代の心を奪ってしまう。そして、後に三千代を妻にし、彼女との間にできた娘が光明子(こう
みょうし)だった。」
「史は自分の出世のために三千代を利用したの?」
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