『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「天武朝の官人の中にはいなかった。実は、持統天皇が引き上げた人物なんだ。」

 「それって誰なの?」

 「それは、『日本書紀』編纂のところで少し話したけれども、藤原不比等(ふじわらのふひと)なんだ

よ。彼は、当時、藤原姓は名乗らず、中臣史(なかとみのふひと)と名乗っていた。彼はこの時代の最

重要人物だと私は考えている。そこで、彼の生い立ちを詳しく見ていくことにしよう。」

 「史は鎌足の長男だったんでしょ。」

 「いや、史には定恵(じょうえ)という16歳年上の兄がいたんだ。定恵は11歳の時、遣唐使の一員と

して唐に留学に行っている。」

 「当時、遣唐使として留学することは命がけだったんでしょ。なぜ、鎌足は自分の長男にそんな危

険なことをさせたの?」

 「定恵の母は、鎌足が孝徳天皇からもらい受けて妻にした女性なんだ。定恵の父は孝徳天皇であ

る可能性が高い。ところが、孝徳天皇と中大兄皇子が対立するようになって、中大兄皇子派の鎌足

が政略的な意図もあって留学させたのではないかと私は考えている。」

 「定恵と史は16歳も年が離れていて、その間に子供はいなかったの?」

 
     

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