『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「大海人皇子は天皇になれるような血筋ではなかったけれども、有能な人物であったようなん
だ。天智天皇は自分の娘を何人も大海人皇子に嫁がせている。そのうちの一人が持統(じとう)天皇
なんだ。天智天皇は息子の大友皇子への譲位を考えており、実力者の大海人皇子に娘を嫁がせて
懐柔しようとしたのだと思う。
そして、大海人皇子は、新羅と友好関係を結び、朝鮮半島に新羅を存続させるという外交方針を持
ち、それが豪族たちの支持を受け、実力者であった大海人皇子のリーダーシップもあって、壬申の乱
に大勝利することができたのだと思う。」
「その後、新羅はどうやって独立を保っていったの?」
「新羅は、大海人皇子が壬申の乱に勝利し、673年に天皇に即位すると、675年に正面切って唐に
反抗し、戦闘では勝利する。そして、ここから巧みな外交を展開する。文化的には中華思想を受け入
れ、中国以上に儒教体制を敷くようになる。そして、中国を宗主国と仰ぎ中国の冊封体制に組み込ま
れながらも、王国を維持していくという路線を進むことになる。それ以降の朝鮮は、高麗も李氏朝鮮も
この路線を継承することになる。」
「朝鮮半島は中国と陸続きだったので、完全独立は無理だったんだね。やむを得ない選択だったの
かな?」
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