『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「それは、人間は生まれる時代も親も選べないということに関係する。人間は、宿命的にある時代

のある親の子として生まれる。そして、その社会には必ず、その社会に固有の文化ができあがって

いるんだ。親はその文化を当たり前のこととして、無自覚的に身に付けている。人間の赤ちゃんは、

それを親から、そして長じるに及んで他の家族など周りの人間たちから学習し、無自覚的に身に付け

ていくわけだよ。子供にとって、その文化は幾つかある中の一つというわけではなく、それしかない

唯一の現実として立ち現れるんだ。それを、幼児期に内面化することを第一次的社会化と言うんだけ

れども、それが人間の行動に及ぼす制約が非常に大きいということなんだ。」

 「ふ〜ん。三つ子の魂百までも、ってやつだね。」

 「そうだね。人間にとって、自分の社会の文化はまるで当たり前、自明の現実なので、それを疑う

ことさえ難しいんだね。したがって、人間が、自分が生まれた社会の文化を根本的に乗り越えていく

ことは非常に難しい。言語学者でソシュール研究者の丸山圭三郎氏は、人間は自分が生まれた

社会の文化にフェティッシュしていると言っている。フェティシズム(物神崇拝)だね。物神崇拝とは

宗教だけではない。文化そのものへの固着も物神崇拝なんだ。しかも、それは根が深い。無自覚的

な固着になっている。だから、自分が身に付けた文化の自明性を疑い出すと、不安に襲われるんだ

ね。日本人が日本文化を相対化するのが難しいように、イスラム教が支配的な社会に生まれ育った

人がイスラム教を相対化するのは非常に難しい。それが、時代の枠組みの要点なんだ。」

 「それじゃ、社会は発展しないし、歴史的な進歩もないんじゃないの?」


     

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