『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「663年の白村江の戦いの後、唐の次の狙いは高句麗を滅ぼすことにあった。そして、新羅と連合

して668年に高句麗を滅ぼしてしまう。

 その間、中大兄皇子は、称制という立場で筑紫に水城(みずき)を造り、各地に朝鮮式山城を造っ

て唐の侵攻に備えようとした。667年には都を近江大津宮に移している。そして、高句麗が滅ぼされ

た668年に天皇に即位している。それが天智(てんじ)天皇なんだ。」

 「唐は、高句麗を滅ぼしたら、次は日本を狙うはずでしょ。どうして攻めてこなかったの?」

 「唐は、高句麗を滅ぼすと、新羅の王を地方の役人の地位に置き、新羅の独立を認めなかった。そ

こで、新羅は唐に対して反旗を翻したんだ。」

 「新羅は唐に反抗して、よく滅ぼされなかったね。」

 「ちょうど、高句麗の遺臣が唐に反旗を翻して立ち上がったので、それと連携して唐と戦い、戦闘で

は新羅が勝利した。そこから、両国の外交戦が始まる。」

 「外交戦ってどういうことなの?」


     

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