『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「当時の東アジアは、隋を滅ぼした唐が強大な帝国を形成し、朝鮮半島への侵略をねらっていると

いう情勢だった。一方、朝鮮半島は、高句麗・百済・新羅がしのぎを削っていて、新羅が百済によって

滅亡寸前まで追い込まれてしまった。そこで、新羅の金春秋(きんしゅんじゅう)のちの太宗武烈王

(たいそうぶれつおう)が唐との同盟という苦渋の決断をする。唐と同盟することにより、祖国を救い、

逆に百済・高句麗を滅ぼしてしまおうとした。しかし、唐は、百済・高句麗を滅ぼした後、新羅をも滅

ぼしてしまうつもりであったことは金春秋も分かっていたようなんだが、背に腹は替えられないという

ことで同盟に踏み切ったんだろうね。実際、まず百済が滅ぼされてしまった。」

 「白村江の戦いって、その後なんでしょ。どうして、滅ぼされた百済を救援しに行ったの?」

 「まず、百済の遺臣である鬼室福信(きしつふくしん)が唐に反旗を翻して決起した。そして、倭国の

人質になっていた百済の王子・余豊璋(よほうしょう)を送り返してくれと頼み、さらに援軍を要請して

きた。

 中大兄皇子はこれを受けて、661年に余豊璋を百済王に任命し、五千の兵に護衛させて朝鮮半島

に送り返したんだ。」

 「でも、援軍まで送らなくても良かったんじゃないの?勝算はあったの?」


     

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