『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「原詔が後世に修飾されたというのは、多分本当だろうと思っている。それから、孝徳天皇の死後、

中大兄皇子が天皇にならなかったのは、孝徳天皇の子の有間皇子(ありまのみこ)の存在が大きい

と思う。天皇擁立をめぐる紛争を避けるために、皇極天皇が斉明(さいめい)天皇として重祚したん

だ。

 また、支配層の豪族たちの支持は、孝徳天皇存命の時から、判断力、実行力に富んでいた中大兄

皇子に集まっていたようだけれども、彼の同母妹であり、孝徳天皇の皇后であった間人皇女(はしひ

とのみこ)との男女関係が疑われていた、ということもあったに違いない。異母妹なら、当時は許され

たとしても、同母妹となると、当時でも許されざる関係だった。しかも、支持を失っていた天皇とはい

え、その皇后との男女関係を疑われては、即位できるような状態ではなかったと思うね。」

 「じゃ、斉明天皇の死後、6年間も称制という形で実権を握り、正式に即位しなかったのはどうしてな

の?」


     

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