『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「井沢元彦氏は『それは殉教であった』と言っている。私もその可能性が高いと思っている。」

 「えっ、それはどういうことなの?」

 「彼の父・聖徳太子の思想的影響を子供の頃から受けていて、それが殉教という行動になった、と

私も考えている。」

 「どのような思想的影響を受けたの?」

 「聖徳太子は『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』という仏教の注釈書を書いているんだけれども、三経

とは、法華経(ほけきょう)・維摩経(ゆいまきょう)・勝鬘経(しょうまんぎょう)であり、勝鬘経の中心

思想が『捨身(しゃしん)』なんだ。そして、法隆寺にある国宝の玉虫厨子(たまむしのずし)の側面に

描かれているのは『捨身飼虎(しゃしんここ)』と『施身聞偈(せしんもんげ)』であり、『捨身』というの

は、他人のために死ぬという思想だ。幼い頃からこの思想で育った山背大兄王は『一身上の都合で

人民を殺したり傷つけたくない。だからこの身を入鹿にくれてやろう』としたのだと思う。これは『捨身』

の思想に殉じたものと言える。」

 「じゃ、乙巳(いっし)の変は、横暴なやりかたで実権を握ろうとした蘇我氏を、皇族の中大兄皇子が

中臣鎌足などの協力を得てそれを阻止し、天皇中心の中央集権国家を作ろうとして行ったクーデター

だったというわけなの?」


     

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