『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「実は、冠位十二階や憲法十七条の制定は、小野妹子らを随に派遣するよりも前に制定されたん

だ。しかし、それらは、もっと後に別の人物によって制定されたものであるとか後に手が加えられたも

のであるという説もある。いずれにせよ、ここで重要なことは、憲法十七条によって、当時の日本人の

エートスを知ることができるということなんだ。憲法といっても、現在の憲法のように国家権力を規制

するものではなく、官吏の心得といったものなんだけれども、ポイントは『和』を最も大切な価値とする

という考えだ。仏教よりも天皇への臣従よりも大切なんだと言っている。そして、皆で話し合えば、す

べてのことがうまくいく、と言っている。

 これらの考え方は縄文人の心優しきエートスに強く影響されていると思う。縄文人の文化は底流と

なって弥生人、古墳時代・飛鳥時代の日本人に受け継がれ、そして、現代の日本人にも、無意識の

うちに影響を与えていると思う。しかし、これは話し合い絶対主義になることもある。仲間内で話し合

った結果の行動が、誰かの基本的人権を侵害することになっても、それに気づかず、あるいは、それ

を無視して、話し合いの結果を優先させてしまうことがある。冷静に理性的に話し合えば、まだいい

んだけれども、ある方向へと空気が醸成されてしまうがごとく、ある考え方が醸成されてしまうと、そ

れに抵抗できなくなってしまうという点が我々日本人の弱点の一つだと思う。」

 「仲間内で、ある考え方が採択されてしまうと、仲間内の『和』を大切にするがゆえに、それが誰か

の人権を侵害してしまうことになろうとも、反対できなくなってしまうということなの?」


     

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