『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「聖徳太子というと、8人の訴えを同時に聞き分けて理解した、とか、2歳の時、合掌して『南無仏』
と唱えた、とか、いろいろな超人的エピソードが伝わっているよね。それらは、後世の聖徳太子信仰
がもたらした伝説だと思うね。しかし、彼は厩戸皇子(うまやどのみこ)という名前の用明(ようめい)
天皇の皇子で、崇峻(すしゅん)天皇が暗殺された時、最も天皇になる可能性が高かった人物なん
だ。」
「聖徳太子はどうして天皇になれなかったの?」
「当時、聖徳太子の他にも天皇になる資格を有する皇子が二人いて、それぞれが豪族を巻き込ん
での紛争になりそうだった。そこで、紛争回避のために、崇峻天皇と同世代の欽明(きんめい)天皇
の娘であり、敏達(びだつ)天皇の皇后であった炊屋姫(かしきやひめ)が即位した。それが推古(す
いこ)天皇なんだ。多分、蘇我馬子の後押しを受けた炊屋姫が、自分の息子である竹田皇子(たけだ
のみこ)を天皇にするために、そのつなぎとして即位したという面もあると思われる。」
「聖徳太子は、そのことに抵抗しなかったの?」
「崇峻天皇が死んで、最も利益を得るのは、天皇になるのに一番近い位置にいた聖徳太子なん
だ。したがって、崇峻天皇暗殺の嫌疑をかけられてしまったに違いない。天皇になれるような状態で
はなかったと思うよ。」
「それって、蘇我馬子と推古天皇の陰謀じゃないの。だったら、どうして推古天皇は聖徳太子を摂政
に任命したの?」
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