『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「それだけじゃなく、それ以降の歴史も改竄・捏造が行われた形跡がある。履中・反正天皇あたり

で、天皇家が畿内の豪族連合の最高首長・大王になったと思われるが、豪族たちの勢力も大きく、葛

城氏(かつらぎし)、吉備氏、平群氏(へぐりし)などの土着の豪族や、物部氏、大伴氏などのヤマト政

権系の豪族たちの発言力も強かったと思われる。天皇家は土着の豪族を懐柔するために、土着の豪

族の娘を妃としていたんだが、蘇我稲目(いなめ)あたりから蘇我氏が娘を天皇家に嫁がせ、天皇の

外戚として権力を握り、政治を動かすようになっていった。

 『日本書紀』では、蘇我馬子(うまこ)・蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)は悪役として描かれているが、

それは、不比等の父親である中臣鎌足(なかとみのかまたり)や中大兄皇子(なかのおおえのみこ)

を英雄として描くためであったと考えられる。」

 「じゃ、聖徳太子(しょうとくたいし)の話も捏造なの?」


     

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