『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「武内宿禰は、蘇我氏(そがし)の祖とされている。私は、彼は、吉備氏のミッションだったんだろう

と思っている。吉備氏は、ライバルの出雲氏に対して巻き返しを図るために、ヤマト政権との連合を

考えたに違いない。そこで、そのミッションとして派遣されたのが武内宿禰だったのであろうと思う。

ヤマト政権と吉備氏の連合は成功したものと思われる。応神天皇の妃の一人と次の天皇の仁徳(に

んとく)天皇の妃の一人は、吉備氏の娘であったということが、それを証明している。

 まず、武内宿禰は、仲哀天皇に新羅出兵を説いたが受け入れられず、それゆえ暗殺したのだと考

えられる。そして、神功皇后に新羅出兵を行わせ、その後、神功皇后の息子の応神天皇、その摂政

となっていた神功皇后の、瀬戸内海の水先案内人を務め、畿内に進出させたものと思われる。

 不比等は、神代から続くという天皇家の系譜に辻褄を合わせるために、応神天皇、摂政の神功皇

后の畿内への進出という4世紀の出来事を、神武天皇の東征という話にすり替えたのだと思う。」

 「応神天皇らは、一気に奈良盆地へと攻め込んだの?」


     

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