『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「多分、思うような成果をあげることはできなかったと思う。『日本書紀』には、出陣の頃、神功皇后

が臨月になっており、事が終わってから産まれてほしいと祈って、石を腰にはさんだということが書い

てある。」

 「なぜ、そんなあり得ないことを書いたんだろうね。」

 「それは、神功皇后が、新羅(しらぎ)出兵の後に産んだ応神天皇は、仲哀天皇の子ではなかった

からであると思う。」

 「じゃ、誰の子だったの?」

 「関裕二(せきゆうじ)氏は、仲哀天皇が亡くなった後、武内宿禰(たけのうちのすくね)との間にで

きた子であろうと言っている。関氏は、住吉大社(すみよしたいしゃ)に、仲哀天皇が亡くなった晩、住

吉大神(すみよしおおかみ)と神功皇后が秘め事を行ったという伝承が伝わっており、住吉大神とは

武内宿禰であるとしている。」

 「それは、ほんとうなの?」

 「私は、石を腰にはさんで出産を遅らせたという話よりは、現実味があると思っている。藤原不比等

は、天皇を神格化し、血統カリスマにより天皇家を天壌無窮のものにし、それによって藤原家も永遠

に繁栄させようとした。それには、天照大神からの父系の血統を途絶えさせるわけにはいかなかっ

た。だから、歴史の改竄・捏造を行ったんだ。」

 「武内宿禰って何者なの?」


     

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