『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「さっき、イズモ政権の権力の源泉は、鉄鋌の輸入と各豪族への分配だという話をしたよね。それを
裏づけるような遺跡の発見があったんだ。」
「それは、いつ、どこで発見されたの?」
「それは、1988年(昭和63年)に発見された鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡と妻木晩
田(むきばんだ)遺跡なんだ。青谷上寺地遺跡からは、木製品・骨格製品・人骨・獣骨のほかに、
365点もの鉄製品が出土した。妻木晩田遺跡からも250点以上という大量の鉄器が発見されている。
朝鮮半島から対馬海流に乗ると、ちょうど出雲あたりに到着することになる。出雲は、北九州と並ん
で、朝鮮半島から鉄鋌を輸入するのに好適な立地条件を持っていたんだ。」
「ヤマト政権は、キビ政権に対しては、関門海峡の封鎖という手段に出たんだよね。イズモ政権に
対しては、どのような対処をしたの?」
「鉄鋌の輸入先である朝鮮半島を攻略するという手段を取った。神功皇后の朝鮮出兵は、それは
成功したかどうかは別として、多分、事実であったと思う。騎馬民族の女性は、男と同等に馬に乗
り、兵士として活躍する場合がある。特に、族長の妻は、夫が亡くなり子供がまだ幼い時、自分が軍
の指揮を執って戦う。だから、神功皇后は、夫の仲哀(ちゅうあい)天皇が亡くなると、イズモ政権の
経済基盤を崩すために、自分が指揮を執って朝鮮半島に出陣したんだ。」
「それは成功したの?」
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