『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「吉備地方には、水稲耕作の適地であった岡山平野があり、また、そこは、瀬戸内海の制海権を
握るのには絶好の位置だった。そして、瀬戸内海は古代のハイウェイだったんだよ。瀬戸内海を通っ
て、朝鮮半島から鉄鋌を輸入していたんだ。それを素材として、鉄製農具や鉄剣を製作し、それによ
って高い農業生産力と強い軍事力を持つことができた。また、輸入した鉄鋌を各豪族に分配すること
により、豪族たちの支持を得ていたものと思われる。」
「そうか、じゃ、その当時、北九州のヤマト政権と畿内のキビ政権が対立していたというわけなんだ
ね。」
「その通りだと思うよ。」
「ヤマト政権は、キビ政権に対してどのように対処したの?」
「ヤマト政権は、吉備氏の勢力を弱めるために、経済封鎖を行ったのであろうと思われる。」
「えっ、それはどういうことなの?」
「ポイントはやはり鉄なんだ。関門海峡を封鎖して、吉備氏と朝鮮半島との鉄鋌の交易にストップを
掛けたのだと推測される。それによって、しだいに吉備氏の勢力が弱まっていき、代わりに、吉備氏
のライバルだった出雲氏が勢力を握っていったと考えられる。
そして、畿内では、出雲氏が最高首長となりイズモ政権が成立した。奈良県桜井市にある三輪明
神(みわみょうじん)の祭神・大物主神(おおものぬしのかみ)は大国主命(おおくにぬしのみこと)と
同体であるとされている。」
「出雲の大国主命の話は単なる神話じゃなかったの?」
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