『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「一つは、倭人の伝統的な太陽神信仰を騎馬民族の神話に組み入れることにより、倭の豪族たちを

取り込むためだった。もう一つは、当時の考えでは、生前に大きな力を持っていた者は、死後、強力

な霊になるという考えがあったと思うんだが、恨みを持って死んでいった有力者の霊は強力な怨霊

(おんりょう)となり、生者の世界に禍をもたらすということになる。それを避けるためには、その怨霊

を神として祭り上げ、祭祀を絶やさないようにする必要があったんだ。

 だから、天皇一族にとって、天照大神は皇祖神であると同時に、遠ざけておきたい恐ろしい神でも

あった。それゆえ、天照大神を祀る神宮は、奈良盆地ではなく伊勢に置かれたし、歴代天皇のほとん

どは伊勢神宮へは参拝していない。

 また、『日本書紀』では、天孫降臨を討議した神々の会議は、天照大神ではなく、騎馬民族系の神

であると考えられる高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が主催したと書いてある。その他、日本の

神話と騎馬民族系の神話やギリシア神話との類似性については、吉田敦彦氏の『アマテラスの原像

』や『ギリシア神話と日本神話』を読むといいよ。吉田敦彦氏は、『アマテラスの原像』において、『ギリ

シア神話からのかなり強い影響を受けていたスキュタイ系民族の神話が、朝鮮を経由して古墳時代

の日本にも伝播し、天皇家の神話の形成に大きく関わったことはこのように、スキュタイ神話とその

遺構を保存することが確実なオセットのナルト伝説、および高句麗と日本の建国神話の比較によって

も、そうとう明白に確かめることができる』と述べている。」

 「じゃ、西都原古墳群の男狭穂塚などを発掘調査すれば、当時のことがかなり分かるんじゃないの

?」


     

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