『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「それを理解するためには、当時の人々の精神世界を理解しておく必要がある。現代の日本人は、

宗教に無関心な人が多いと言われているけれども、徹底した無神論者はほとんどいないのではない

かと私は思う。人が亡くなると、成仏を祈ったり、墓参りに行ったりと、霊魂不滅を信じている人が多

いと思う。ましてや、古代の日本人は、縄文人のアニミズムの世界を継承して、神々の存在だけでは

なく、森羅万象に宿る精霊を信じており、宗教が彼らの行動に与える影響力は、現代の我々が想像

できないくらいに大きなものがあったに違いない。

 そして、2011年11月21日に受理された、「国立天文台報」第14巻に掲載された論文『247年3月

24日の日食について』において、相馬充(そうまみつる)・上田暁俊(うえだあきとし)・谷川清隆(た

にがわきよたか)・安本美典(やすもとびてん)の四氏は、『西暦247年3月24日の日食は北九州でも

深食である。とくに北九州市や北九州沿岸の島は皆既であった可能性がある』と結論づけている。

 この皆既日食は、太陽神を最高神とする邪馬台国の人々に非常に大きな動揺を与えたであろうこ

とは間違いない。そのことが狗奴国との戦争敗北の原因であったと思われる。

 皆既日食があったことにより、卑弥呼は太陽神を祀るシャーマンとしての呪力の衰えを告発され、

また、戦争敗北の責任を問われて、伊都国王・御間城入彦(『日本書紀』における崇神天皇)によっ

て殺害されたものと推察される。その後、御間城入彦が王となったが、北九州の小国の王たちは彼

に服さなかったので、彼はやむなく、卑弥呼の一族の13歳の娘・臺与(とよ)を邪馬台国の王にした

んだ。そして、御間城入彦は再起を図るために、安羅国の人々および日本<ヤマト>国の兵士たち

を船に乗せて、一旦、任那に撤退した。」

 「それは、何かに書いてあるの?」


     

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