『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「『魏志倭人伝』に書かれている邪馬台国の人々の習俗が、その根拠の一つなんだ。まず、顔や身
体にいれずみをしていると書かれてある。また、女性は貫頭衣(かんとうい)つまりポンチョのような着
物を着ているとある。これは、中国河南地方から東南アジアにかけての南方系民族の習俗なんだ。
水稲耕作は紀元前1000年頃、長江下流域地域の農耕民が日本列島に渡来して伝えたということ
は、さっき話したよね。彼らは、黒潮に乗ってやって来て、南九州に上陸したのだと思う。だから、紀
元前500年頃、朝鮮半島から北方系新モンゴロイドの農耕民が渡来してくる前は、南九州の方が伝
統ある文化的先進地域だった。2世紀頃は、寒冷化が進んでいたにもかかわらず、『倭の地は温暖、
冬夏生菜を食す』と記されているし、ポンチョのような着物で過ごせるということは、邪馬台国の都が
南九州のような温暖な地にあったという可能性が高いと考えられる。」
「でも、畿内説を取る学者先生たちは、『魏志倭人伝』に書いてある行程通りに行くと、南の海上に
出てしまうと言っているんでしょ。方向は南ではなく、東の間違いであり、東だとすると、ちょうど機内
のあたりに着くという考えなんだよね。それについては、どう思うの?」
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