『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「ヤマト国の使者が帯方郡で対魏交渉をした時、国の名前を聞かれてヤマト国と答えたのを、魏の

役人が邪馬台国と当て字したんだ。『魏志倭人伝』では、〔邪馬壹国〕と表記されているけれども、

『後漢書』では〔邪馬臺国〕と表記されている。〔臺〕という字は高貴な字なので、『魏志倭人伝』では

あえて〔壹〕という字を使ったんだと思うよ。〔臺〕の略字が〔台〕なんだ。」

 「邪馬台国ってどこにあったの?畿内説と九州説があって、論争中なんでしょ。」

 「卑弥呼はもともと安羅国の女王であり、安羅国は南九州にあったんだと思う。主な対外交渉は、

北九州にあった伊都国が行っていたんだけれども、魏の使節は、女王・卑弥呼のいた安羅国に行っ

たんだと思う。その安羅国は、宮崎県西都市の西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)のあたりにあ

ったと、私は考えているんだ。」

 「どうしてそう考えるの?」


     

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