『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「卑弥呼を女王に共立した中心人物は、伊都国王・御間城入彦、つまり崇神天皇だった。ただし、
彼はその頃はまだ少年だったと思う。卑弥呼が女王に共立されたのは、彼女が没した年代から推察
すると、彼女が13歳の頃だと考えられる。そして、『魏志倭人伝』に『男弟あり、佐けて国を治む』とい
う記述があるけれども、その男弟とは、実の弟ではなく御間城入彦であったとすると、卑弥呼が女王
に共立された時、御間城入彦はまだ少年だったということになる。」
「そうか、天孫降臨は、皇祖の高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみ
こと)が降臨するんだものね。」
「倭国大乱は2世紀後半に起こったことなんだけれども、御間城入彦が北九州に侵攻する前に、任
那の日本<ヤマト>国が何度か侵攻を試みたのが、その大乱の原因だったと思う。そして、任那の
日本<ヤマト>国の王は、武力だけでは征服は困難であると考えたんだと思う。まずは、古い時代
から小国を形成していて、伝統ある国であった安羅国(あらこく)の女王・卑弥呼を連合国家の王に立
て、彼女を補佐するという形で実権を握るという、連合国家形成の道を選択したのだと思う。そうして
おいて、物部(もののべ)・大友(おおとも)・中臣(なかとみ)などの祖であると推察される武人たちに
補佐された、孫の御間城入彦を派遣したのだと思う。そして、その連合国家を日本<ヤマト>国と呼
ばせたんだ。」
「邪馬台国(やまたいこく)ってヤマト国なの?」
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