『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「非合理的救済探求とは、例えばシャーマニズムが挙げられる。縄文人や弥生人の生活にもみられ

るものだけれども、その特徴は、呪術によって人間が神を操作するといった発想にある。それに対し

て、非合理的救済探求から解放された生活というのは、ヤハウェは絶対的な創造神であり、人間もそ

の神の被造物にすぎないので、神から与えられた律法をただひたすら守るのみであり、呪術で神を

動かそうとする発想のない生活、ということなんだ。」

 「呪術的な方法ではないユダヤ人の救済探求って、どんなものなの?」

 「過酷な自然環境下でパーリア的状況に置かれていた彼らは、政治的および社会的革命が将来、

神の指導の下に行われるという信仰を持ち、その革命によって形成される神の国を待ち続けることが

彼らにとっての救済探求だった。そして、その信仰が、神の国が来るためにはヤハウェから与えられ

た律法を遵守していかなければならないという意識になり、彼らの生活を規制していくことになる。」

 「日本人が宗教的な律法や戒律に縛られるのが嫌いなのに対して、ユダヤ人が生活の隅々まで律

法を守りながら生活するのは、過酷な状況を強力な神の力で逆転してもらいたい、そのためには神

から与えられた律法を熱心に守る必要があるということだったんだね。

 じゃ、日本のことに戻るけど、縄文人はなぜ、弥生人に日本列島の主役の座を奪われていった

の?」


     

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