『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「縄文人の集落遺跡の特徴は、集落の中央に広場があり、その広場の中心から大体等間隔の位
置に、4〜5戸の竪穴式住居が円形状に建てられていたらしい。また、死者は集落の中央にあった共
同墓地に埋葬されていた。それは、各家族の平等性を示していると同時に、死者の再生を願って死者
と共に生きようとする縄文人の生き方を示していると思う。青森県の三内丸山遺跡のような大集落の遺
跡も発掘されていて、その大集落を統率する者がいたに違いないけれども、世襲の支配者ではなか
ったらしい。
そのような平等な社会を形成し、森羅万象に精霊が宿る自然と共生しながら1万数千年もの間、恵
まれた自然環境・社会環境の中で生活してきた結果、縄文人のエートス《基本的な行動原理》とし
て、自然および自然の一部と考えられていたであろう自分たちの社会を、できるだけ損なわないよう
にしようとする《心の優しさ》が育まれていったのだと思う。それは、縄文人が雌鹿は殺さなかったと
いう事実や、弓矢はあくまで狩猟用のものであり、人を殺傷する武器としては発達しなかったという点
や、森林を強力に伐採できる、当時世界最大の石斧を製作しながら、実際はそれを使用しなかったら
しいという点に見られる。」
「縄文人と古代のユダヤ人って、すごく対照的だよね。だって、古代のユダヤ人は神の命令の下
に、パレスチナに住んでいた人々を皆殺しにしながら、神が与えたという土地を侵略していったんで
しょ。」
「それもやはり、時代の枠組みや古代のユダヤ人が生活していた地域の風土や政治状況を考慮す
る必要があるんだよ。」
「古代のユダヤ人は、どのような風土・政治状況下にあったの?」
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