『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「まず、縄文人が、自分たちの住む世界をどのように捉えていたかというと、周囲の森羅万象すべ

てに精霊が宿っているという考えだったらしい。いわゆるアニミズムの世界だよね。それらの精霊は、

まだ神という概念にはなっておらず、チ、タマ、モノ、ミ、ヒ、ヌシなどと呼ばれており、善悪の両面を持

っていると信じられていた。縄文時代の埋葬方法は、手足を折りたたんで埋葬する《屈葬》と呼ばれ

るものだけれども、それは、再生を願って胎児の格好をさせているのだという説がある。また、死者の

霊が生者に禍(わざわい)をもたらさないようにという呪術的な考えからのものであるという説もある。

私は、前者の方が説得力があると思っている。縄文人は,死者の再生を信じていたのだと思う。

 そして,その頃の日本列島は、食糧や水の面も安全の面も非常に恵まれていたので、諸々の精霊は

普段は善なる存在で感謝の対象であったと思う。ただ、地震、噴火、雷、暴風雨などの自然災害が発

生した時、縄文人たちは諸精霊の怒りを感じ、畏怖したに違いない。そのような自然災害は起こるのだ

けれども、それ以外は非常に恵まれていた。そして、縄文時代中期における日本列島の人口は、20万

人くらいであったろうと推測されているが、それらの人々を養うのに充分な食糧があり、大陸から海で隔

てられていたので、異民族が大挙してやってくることもないという恵まれた環境で、1万数千年もの長

い間生活してきた結果、縄文人の精神に《心の優しさ》が育まれていき、それが日本人の精神構造

の基層になっていったと考えられる。

 そして、日本は島国であったけれども、黒潮に乗って、東南アジア方面から、中国大陸から、また、

親潮に乗って、アラスカ方面からも渡来人がやってきた。彼らは彼らの文化を携えてやってくる。縄文

人は、それらを受け入れるだけの寛容さと知的好奇心を持っていたんだ。」

 「じゃ、縄文人の社会は、どのようなものだったの?」


     

       -34-

 MENUに戻る