『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「人間はすべて罪人ゆえに、すべての人に死があるという考えなんだ。でも、神・ヤハウェは愛の神
なので、自分の子を人間の罪をあがなわせるために、地上に送ったというんだ。そして、神の子イエ
スは人間の罪を負って十字架上で死んでいったので、イエスを神の子・キリストと信じるなら、罪が赦
され、罪の代償としての死から解放され、永遠の命を得るという新しい契約になったと、パウロは考
えた。だから、救いは、イエスをキリストと信じる信仰のみにあるのであって、割礼や食物禁忌など
は、もう意味をなさないということなんだ。それによって、キリスト教徒は、絶対的な創造神によって選
ばれた選民であるという観念は保ちながら、ユダヤ教徒が遵守している律法からは解放されることに
なった。そして、パウロは、イエスの死とよみがえりの事件を境に、終末の時に突入していると考えて
いたようなんだ。パウロは、自分が生きているうちに神の国が始まると思っていた。そのような切迫し
た時間感覚の中で生きていたんだね。こうして、ユダヤ人も異邦人も、この原罪という観念によってひ
とくくりにされ、天地創造から終末へと至る歴史は、ユダヤ人だけの歴史ではなく、全人類の歴史とさ
れた。これにより、全人類がキリスト教徒として、民族や部族の枠を超えて連帯していく可能性が切り
開かれた。」
「それが、古代社会の時代の枠組みを突破したということなんだね。」
「そういうことだね。」
「じゃ、西欧中世社会の時代の枠組みを突破するっていうのは、どういうことなの?」
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