『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「『使徒行伝』には、《使徒令》について次のように記されている。『そこで、私の意見では、異邦人

の中から神に帰依している人たちに、わずらいをかけてはいけない。ただ、偶像に供えて汚れた物

と、不品行と、絞め殺したものと、血とを、避けるようにと、彼らに書き送ることにしたい』」

 「それは、いつ決められたの?」

 「多分、使徒会議が終わって、パウロがイェルサレムを去り、さらにペテロがアンテオケに向かって

出発した後で、イェルサレムに残った使徒たちが決めたんだと思う。

 ペテロは、その《使徒令》を見て、異邦人キリスト教徒との食卓からしだいに身を引いて離れていっ

た。イェルサレムのキリスト教徒たちとの決裂を恐れたんだろうね。そこで、パウロが衆人の面前で

ペテロを痛罵した。この事件をアンテオケ事件と言うんだ。」

 「ペテロは、イエスの直弟子の中でもリーダー格だったんでしょ。パウロはなぜそのような態度をと

ることができたの?」


     

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