『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「パウロは、ダマスコ途上での《イエスとの遭遇》という原体験により《イエスこそキリストである》

というクレドーを形成したものの、そこから紡ぎ出された世界はパウロだけの現実であり、なんら社会

性を持っていなかった。ところが、彼がダマスコに行き、アナニヤというキリスト教徒と会うと、目から

うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになったと『使徒行伝』に書いてある。これは、二人

の間でお互いに、二人がキリスト教徒であるというアイデンティフィケーションが行われ、ここでパウ

ロは初めて自分の思想に社会性を獲得した。つまり、パウロの個人的な現実にすぎなかった彼の思

想が、社会的現実となったということなんだ。それによって、目からうろこが落ちたように、世界が意

味あるものとして見えるようになったと考えられる。」

 「そうか。原体験の後、わりとすぐにキリスト教徒と出会えたことは、パウロにとって幸運なことだっ

たんだね。」

 「それでは、アンテオケ事件に戻ろう。アンテオケという都市は、地中海東岸の北部に位置していた

都市で、当時の西アジアにおける大都市の一つだった。翔太は学校で、アンティオキアという名称で

習っているんではないかな。」

 「あ、そういえば聞いたことがあるよ。」

 「アンテオケで、キリスト教徒の集会が初めて《エクレシア》つまり教会と呼ばれるようになったん

だ。そこでは、ユダヤ人キリスト教徒も異邦人キリスト教徒も、同じ食卓を囲み同じものを食べてい

た。ところが、そこに、イェルサレムから《使徒令》を携えた使者がやってきた。」

 「《使徒令》って、何なの?」


     

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