『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』

 「ユリアヌス帝は、背教者と呼ばれ、キリスト教徒だったのに棄教したのだと思われている

ようだけれども、実はそうではないんだ。彼はギリシア哲学の徒で、ローマ帝国をもう一度

宗教において寛容な国にしたかったのだと思う。キリスト教優遇策を止め、ローマの神々の祭祀を

復活させようとしたんだ。しかし、コンスタンティヌス大帝・コンスタンティウス帝の治世の約50年間、

キリスト教優遇策が採られ、既得権益を持つキリスト教徒が増えており、彼らがユリアヌス帝の政策に

反感を持っていたんだ。ユリアヌス帝がペルシア戦役で戦死すると、次の皇帝に選ばれたヨヴィアヌスは

キリスト教徒だった。そして、ローマ帝国は再びキリスト教優遇策へと舵を切っていくことになったんだ。

ユリアヌスがコンスタンティウス帝の副帝だった時、コンスタンティウス帝のキリスト教優遇策に批判的な

態度を取ることはできなかった。コンスタンティウス帝の死後、皇帝になったユリアヌスは、急に

キリスト教優遇策を止めたので、後のキリスト教徒たちが彼を背教者呼ばわりするようになったという訳だよ。」

 「じゃ、テオドシウス帝は何故キリスト教をローマ帝国の国教とし、他の宗教を厳禁するという政策を採ったの?」


  

(2019/2/24)

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