『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』

 「コンスタンティヌス大帝は、キリスト教を公認することによって政局の安定を図ろうとしたんだ。

ディオクレティアヌス帝の4分割統治後の混乱は、一応収拾が付いたけれども、まだ安定は

していなかった。だから、ローマ帝国内で無視できないほど数が増えていたキリスト教徒に対して、

信仰の自由を与えることによって政局の安定を狙ったんだと思う。また、それまで、ローマ皇帝の

支配の正当性の根拠は、ローマ市民と元老院の支持という不安定なものだった。

コンスタンティヌス大帝は、その支配の正当性を、唯一絶対の神によって授けてもらうことによって、

息子たちへの皇帝権力の世襲をも正当化しようとしたんだと思う。そして、実際に、ローマ皇帝の権力に

正統性を与えるのは、キリスト教の司教たちということになる。そうなると、権威においては、

ローマ皇帝は司教の下に立たざるを得ない。だから、コンスタンティヌス大帝は、死の直前に洗礼を受けたんだ。

『ミラノ勅令』では、すべての宗教の信仰の自由が認められているが、それは建前で、実際はコンスタンティヌス大帝も

息子のコンスタンティウス帝も、教会を建てたり、キリスト教聖職者を非課税にしたりなど、キリスト教優遇策を

取ったんだ。」

 「コンスタンティウス帝の次のローマ皇帝・ユリアヌス帝は背教者と呼ばれているけど、

何故そう呼ばれるようになったの?」


  

(2019/2/22)

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