『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「キリスト教の神とはかなり違うと思うけれども、ローマやギリシアの神々・日本の神々なども、
意志や感情や知性を持って行動する人格神なんだ。ただ、それらの神々は司祭者だったり、
お互いに戦争をしたり、生産活動に携わったり、恋をしたりと、人間社会を反映した神々の世界を
構成していたと考えられている。キリスト教の神が創造神であり、唯一の絶対的な存在であると
信じられていたのに対して、それらの神々は、不死であり、人間の保護者と信じられていたけれども、
絶対的な存在とは考えられていなかったんだ。だから、複数の神々が共存し、寛容の精神が存在した。」
「キリスト教の神は創造神であり、絶対的な唯一神であるということは、他の神々を認めない、
全くの不寛容な存在であるということだね。」
「そうだね。ローマ帝国がアタナシウス派のキリスト教を国教と定めたときから、ローマ帝国では
他の宗教が厳禁され、それまでの神々の像や神殿などが破壊されてしまったんだ。」
「ローマは、もともと寛容の精神がその社会構成の基本的な原則だったんじゃないの。
どうして、キリスト教のような不寛容な宗教が国教になってしまったの?」
![]()
(2018/12/24)
-224-