『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「ペテロが、異邦人キリスト教徒たちが霊にとらえられているのを目撃していたからなんだ。」

 「霊にとらえられるって、どういうこと?」

 「それは、大幅な人格変容に伴う異常な心理状態だったのであろうと、私は考えている。霊にとらえ

られていると見なされた人の脳内で、神経伝達物質であるドーパミンの異常分泌・ドーパミンレセプタ

ーの異常開放という状態が現出し、神経細胞のネットワークの基本的な構造が変容したのではない

かと思う。そのような精神状態は、ペテロも経験していたことなので、霊にとらえられている異邦人キ

リスト教徒を目撃していたペテロは、割礼なしでもキリストと共にある者と認めざるを得なかったんだ

ろうね。

 実は、パウロも同じような体験をしているんだよ。パウロの場合は、迫害に向かうダマスコへの途上

で、イエスの声を聞くという体験がきっかけになっている。パウロの主観的な真実としては、ほんとに

聞こえたんだと思う。それによって、もはや崩れかかっていたユダヤ教徒としてのアイデンティティが

崩壊してしまったんだろうね。『使徒行伝』には、パウロはその後三日間、目が見えず、また食べるこ

ともしなかった、と書いてある。まさに、異常心理状態だね。

 人間は幼い頃から、自分の周りの事象を感情のパターンや言葉によって秩序づけ、そのような自分

の過去の経験の記憶を通してものを見ている。つまり、自分が形成してきた自分の私的幻想の世界

を当たり前のものとして、その世界に合致するように周りの事象を意味づけながら選択的にものを見

ているんだ。だから、ユダヤ教徒としてのアイデンティティおよび世界観が崩れ去ってしまった時、パ

ウロは、自分の目に飛び込んでくる視覚情報を意味づけることができずに、見てはいるが意味あるも

のとしては見えないという状態になったんだろうね。しかし、パウロの人格は崩壊する寸前だったけ

れども、最後の砦は残っていた。それは、神・ヤハウェの存在なんだ。神・ヤハウェが存在していると

いう信仰はまったく揺るがなかった。それが、パウロが完全な人格崩壊に陥らなかった要因の一つだ

と思う。そして、イエスとの遭遇という原体験によって確立された《イエスこそキリストである》という

クレドー《思想の核となる信念》のもとに、新たに世界を意味づけていき、キリスト教徒としてのアイデ

ンティティおよび世界観《オリエンテーション》を形成していった。それによって、目が見えるようになっ

たし、自分の思想によって立つ個人が誕生した。だから、自分の思想に立脚して、ペテロなどイエス

の直弟子たちに対抗していくこともできたんだね。」

 「原体験・クレドー・オリエンテーションといった考え方は、爺ちゃんも誰かから教わったの?」


     

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