『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「人格は、その人にとっての重要人物たちとの関係を通して形成されたものなので、大人になってから
も人間関係を通してアイデンティフィケーションをしていく必要がある。しかし、アイデンティフィケーション
の相手の人格も不安定のものにすぎないので、共倒れになってしまう危険性をはらんでいる。」
「そうか、キリスト教の神の人格は不変で絶対的なものなので、神との関係においてアイデンティフィ
ケーションを行えば、その人の人格が安定するというわけだね。まさに、キリスト教の神は究極のフェテ
ィシズムの対象とも言えるんじゃないの?手放そうと思ったら、大変な不安に襲われるだろうね。」
「そうだね。人類が類人猿から進化していったとき、なぜ、他の動物にはない人格というものを持つ必
要があったと思うかい。」
「それは、多分、人類が社会生活を営むようになったとき、それぞれが勝手なことをしていたら、秩序
が乱れ集団が崩壊してしまうので、禁止事項などを設けて、それを子どもたちに教えていく必要があっ
たからだと思う。」
「そうだね。人類が本能的な行動の仕方を失っていったとき、非情に多様な行動の仕方が可能だっ
た。そして、生存に有利な行動の仕方を形成した集団が生き残っていったんだと思う。
その、特定の部族や民族の行動の仕方・生活の仕方がその部族や民族の文化であり、過去にさか
のぼればさかのぼるほど、その文化の根拠は神に置かれていた。
人間は必ず特定の社会の中に生まれ、その社会に固有の文化を自明の現実として内面化することに
よって社会化され、その社会の人間となっていく。しかし、その過程でその文化の自明性が疑問視され
るようなとき、伝家の宝刀は『神が決めたことだ。だから従え。神が見ているぞ』というメッセージなん
だ。」
「日本なら、『世間が見ているぞ。人様に後ろ指を指されるようなことはするな』というようなことかな。
西欧でキリスト教信仰が弱まり、日本では、世間への遠慮が薄くなってきている一方で、原理主義のイ
スラム教徒がテロ行為を行っているよね。どうしたらいいんだろうね?」
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