『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「東條は、いい悪いは別として、ヒトラーのように何かある構想を持って、その実現のために首相にな

ったわけではないと思う。本人も首相になりたかったわけではない。第3次近衞文麿(このえふみまろ)

内閣が日米交渉に行き詰まって、退陣せざるを得なくなったとき、近衞・東條が共に次期首相に推した

のは、皇族の東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみやなるひこおう)だった。彼は、対米戦争回避派であっ

たし、陸軍出身であったので東條も賛成していた。しかし、内大臣の木戸幸一(きどこういち)が皇室に

累が及ばないようにと考えて反対したために、この構想はつぶれてしまい、結局、東條が首相に抜擢さ

れたということなんだ。」

 「東條はアメリカと戦争すべきと考えていたの?」

 「必ずしもそうではなかった。しかし、陸軍の対米決戦を叫ぶ声に流されて、その流れに身を任せたと

いうのが実情に近いと思う。」

 「アメリカに滞在経験のある海軍の山本五十六(やまもといそろく)などは、日米の国力差があまりに

も大きいので、アメリカと戦争すべきではないと考えていたんでしょ。軍事のプロである陸軍軍人が、な

ぜ、勝てそうもないアメリカとの戦争を叫んでいたの?」

 「日露戦争で勝利して以降、柳条湖事件・満州事変などを通して、そういった軍人たちの自我が肥大

して、冷静な判断力を持った人の意見を受け付けなくなっていたんだと思う。つまり、彼らは、心情的

に、現人神(あらひとがみ)とされた天皇や大日本帝国と同一化し、プロの軍人としてリアリズムを失っ

ていたのだと思う。冷静な判断力を持った人を、臆病者とか大和魂はどこに行ったなどと大声で罵倒す

るような人物の意見が、力を振るうようになっていったんだね。また、軍人だけではなく、新聞などのマス

コミや一般の民衆もそのような風潮に染まっていったんだ。」

 「なぜそうなってしまったの?」

 
     

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