『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「その事件の首謀者の一人が石原莞爾(いしはらかんじ)という、当時、関東軍の参謀だった男なん
だけれども、彼は、『世界最終戦論』という論文を書いており、その中で、いずれ日本とアメリカの覇権を
懸けた最終戦争が起こり、日本が勝利して世界に絶対平和が訪れるというようなことを書いている。
石原は第一次世界大戦後、ドイツに留学し、第一次世界大戦について研究した結果、この大戦は総
力戦であったとし、これ以後の戦争も総力戦になると考えた。そこで、アメリカに勝つためには、日本は
国力を付けるために、どうしても満州を手に入れる必要があると思った。だから、柳条湖事件・満州事変
・満州国の建国は、彼のその考えに沿った計画的なものだったんだ。
そして、彼は参謀本部の作戦課長になるのだけれども、関東軍の若い参謀たちが、モンゴル人民共
和国・ソ連・中国と衝突を繰り返すようになる。石原はそれを止めに満州に行ったのだけれども、彼らに
『我々はあなたを見習っているだけです』と言われて、それ以上彼らを説得することはできなかった。
そして、戦後、マッカーサーに送った『新日本の進路』という文書で、『最終戦争が東亜と欧米との両
国家群の間に行われるであろうと予想した見解は甚だしい自惚れであり、事実上明らかに誤りであった
ことを認める』と言っている。」
「そんな事実認識もまともにできないような男が戦争のきっかけを作ったというの。彼は戦後の東京裁
判でどのように裁かれたの?」
「東京裁判は、事実上、戦勝国アメリカが敗戦国日本を裁くというものだったけれども、それはおいて
おくとして、石原莞爾は結局、罪に問われることはなかった。」
「どうしてなの?」
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