『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「彼は、大蔵官僚から政治家になった人で、『ライオン宰相』と呼ばれ、庶民に親しまれていた政治家
だった。彼は幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)を外相に用い、再び協調外交に戻した。そして、海軍の
軍縮を協議するロンドン軍縮会議に若槻礼次郎(わかつきれいじろう)を全権として送った。」
「ワシントン会議で海軍の軍縮は決まっていたんではないの?」
「ワシントン会議では、主力艦の比率は協議されて決定していたんだけれども、それ以外の補助艦な
どについては、協議されていなかった。
第一次世界大戦後の平和を希求する世界的風潮と、経済の立て直しを図ろうとする各国の思惑もあ
って、補助艦なども軍縮の対象にしようということになったんだ。」
「アメリカは日本に対してどのような要求をしてきたの?」
「アメリカは日本に対して、対米6割を要求してきた。でも、日本海軍は、少なくとも、対米7割は死守し
ようとしていた。協議の結果、日米比69.8パーセントで折り合いを付けようということになった。」
「アメリカはどうして7割未満にこだわったの?」
「アメリカ国内の世論を考慮すると、7割未満に抑えておく必要があったんだと思う。」
「日本海軍の反応はどうだったの?」
「特に青年将校たちはかなり憤ったみたいだね。その頃、右翼などのテロの恐れもあった。」
「浜口首相は、日米比69.8パーセントでの調印を認めたんでしょ。よく決断したね。」
「彼は、国民のためなら自分の命を懸けてもよいとの覚悟を持った政治家だったんだね。」
「ロンドン条約は、その後、どのような影響を与えたの?」
「浜口首相は民政党の総裁だったのだけれども、野党・政友会の犬養毅(いぬかいつよし)と鳩山一
郎(はとやまいちろう)らが、ロンドン条約締結は統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)だとして、政府を
攻撃してきたんだ。」
「統帥権問題を政権争いの道具にしたの?」
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