『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「3・15事件とは、第1回普通選挙のときに、日本労農党の背後で共産党が積極的な活動を行ったと
いうことに対して大検挙が行われた事件なんだ。また、翌年には、共産党の幹部が検挙されるという弾
圧も行われた。やがて、共産主義者だけではなく、自由主義者まで弾圧されるようになっていく。こうし
て、治安維持法をてこに強硬外交へと転換していったんだ。そして、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件が
起きる。」
「張作霖爆殺事件ってどんな事件なの?」
「張作霖は、満州(中国東北地方)の軍閥で、日本の関東軍と連携していたんだけれども、しだいに
中国国民党の蒋介石(しょうかいせき)寄りになっていった。そこで、関東軍の兵士が張作霖を、列車ご
と爆殺したという事件なんだ。」
「政府や軍はそれに対してどう対処したの?」
「陸軍は、軍法会議にかけることをしなかった。当時の政府・田中義一内閣は事件そのものをうやむ
やにしてしまった。」
「なんでそんな対処をしたの?それじゃ、兵士が勝手なことをしても処罰されないって先例を作ってし
まうことになるじゃない。」
「田中義一は軍人出身の政治家で、それまでの協調外交をやめて、強硬路線を執っていた首相なん
だ。そこで、陸軍の意向に遠慮したのかもしれないね。昭和天皇は大分立腹されたようだよ。それで、
田中内閣は総辞職し、浜口雄幸(はまぐちおさち)内閣が成立する。」
「浜口雄幸ってどういう人なの?」
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