『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「治安維持法は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的とした法律なん

だ。初めは、10年以下の懲役又は禁錮に処す、という罰則だったのが、3年後の1928年(昭和3年)に

は、死刑または無期若しくは5年以上の懲役若しくは禁固、と厳罰化している。」

 「なぜ、そんな法律が成立したの?」

 「治安維持法成立のわずか1ヵ月半ほど前の1月に『日ソ基本条約』が締結されて、日本とソ連の間に

国交が樹立され、社会運動も高揚してきたという情勢が背景になっている。」

 「それで、保守主義者たちが危機感を持ったために成立した法律だったわけだね。」

 「そして、1927年(昭和2年)に首相になった田中義一(たなかぎいち)がそれまでの協調外交方針を

転換し、強硬外交へと路線変更したんだ。」

 「田中義一首相は、なぜ、路線変更したの?」

 「彼は、元軍人で、退役して立憲政友会総裁に就任した。立憲政友会は護憲派の正統だったのだけ

れども、その後、親軍的な保守政党に変質していった。そして、1928年(昭和3年)に第1回普通選挙が

行われ、立憲政友会が第1党となるのだけれども、その年に、3・15事件が起きた。」

 「3・15事件ってどんな事件だったの?」

 
     

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