『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「散り散りになっていた弟子たちも、しだいに集まってきて、一つの宗派を形成するようになった。

ただ彼らは、ユダヤ教の一分派として律法と神殿を尊重する姿勢を示していたので、ユダヤ人社会

の主流派の人々は、初め、彼らをあまり危険視していなかった。当時、ユダヤ人たちは自分たちの

言語であったヘブライ語を話さなくなっていて、そのころ西アジア一帯で話されていたアラム語を話し

ていた。イエスも主流派のユダヤ人たちもアラム語を話していたんだよ。ところが、パレスチナを離れ

て生活していた、いわゆるディアスポラのユダヤ人たちの多くはギリシア語を話すようになっていた。

そのギリシア語を話すユダヤ人たちのうち、キリスト教徒になった人たちはヘレニストと呼ばれた。

そして、彼らは律法と神殿を尊重しようとはしなかったので、主流派のユダヤ人たちから迫害される

ことになってしまった。そのヘレニストのリーダーの一人がステパノという人物で、彼はユダヤ人たち

に石で打ち殺されたと『使徒行伝』には書いてある。

 そして、ユダヤ人たちは、逃げたヘレニストたちを捕まえようと追っ手を差し向けた。そのユダヤ人

たちの一人にパウロという人物がいて、その追跡の途上で熱心なユダヤ教徒からキリスト教徒へと

翻身してしまう。

 パウロがなぜ翻身したのかについては、『二度生まれの男・パウロ物語』に詳しく書いておいたの

でそちらを読んでくれ。そのパウロが、自分の思想《ユートピア思想》により、古代社会の枠組みを

突破し、民族の垣根も越えた集団形成の基礎を築いていったんだ。」

 「パウロはどうして、時代の枠組みを突破することができたの?」


     

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