『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「明治政府において実権を握ったのは、薩摩の西郷隆盛(さいごうたかもり)、大久保利通(おおくぼと
しみち)、長州の木戸孝允(きどたかよし)らだったけれども、西郷は島津斉彬(しまづなりあきら)の薫
陶を受けてからは、開国して富国強兵を目指すべきだという考えになっていたと思う。西郷の盟友の大
久保も同じ考えだったに違いない。薩英戦争後、薩摩藩の一部の者はその考えに同調していた。しか
し、薩摩藩のほとんどの武士は、尊王攘夷の志に燃えていたので、西郷らはその情熱を利用して倒幕
を成し遂げようとした。
長州の高杉晋作(たかすぎしんさく)は、上海に行って租界の現状を見て、開国して富国強兵を目指
すべきという考えになっていた。イギリスに留学した伊藤博文(いとうひろぶみ)や井上馨(いのうえかお
る)らも同じ考えだった。しかし、長州藩もほとんどの武士は尊王攘夷の志に燃えていたので、その考
えを表に出すわけにはいかなかった。
また、さっき話したように、孝明天皇は、通商条約に勅許を出している。だから、政権を取った西郷ら
は明治天皇の権威において、自らの考えだった開国路線を執ることができたんだ。」
「明治政府は1868年(明治元年)に神仏分離令を発したよね。その狙いは何だったの?」-175-