『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』


 「山崎闇斎の二人の弟子のうち、一人はさっき話した佐藤直方なんだ。直方は、前に話したように、師

の日本的朱子学を否定し、朱子学の正統を守ろうとした。日本的な心情倫理は拒否し、赤穂浪士の吉

良邸討ち入りには正当性がなく、彼らは斬首すべきだと言っている。しかし、彼の思想は、『日本教』か

ら見て、受け入れられない考え方だったので、社会に影響を与えることはなく、その後、彼は忘れ去ら

れてしまう。」

 「もう一人は誰なの?」

 「もう一人は、浅見絅斎(あさみけいさい)という人で、彼は師の垂加神道の説に従わなかったので、

疎遠になってしまったのだけれども、師の死後、神道にも興味を示すようになり、朱子学と神道を融合し

た闇斎の説を継承するようになる。

 闇斎は儒教の湯武放伐論(易姓革命)を否定し、真に正統性を持つ支配者は天皇のみと言っている。

しかし、彼は、幕府を倒し天皇親政の世の中にすべきだとは言っていない。革命を否定し、朱子学を個

人倫理としたにすぎない。

 その師の説を継承した浅見絅斎は、それを発展させ、正統なる支配者・天皇を戴(いただ)く日本こそ

中国であり、徳川家は簒臣(さんしん)なので、徳川家を倒して天皇の支配に戻すべきだと主張したん

だ。」

 「そんなことを言って、よく殺されなかったね。」

 「もちろん、生前にそんな説を発表したら命はない。彼の主著『靖献遺言(せいけんいげん)』は彼の

死後、出版されている。そして、その『靖献遺言』は幕末にベストセラーとなり、勤王の志士のバイブル

となったんだ。」

 「『靖献遺言』にはどんなことが書いてあるの?」

 
     

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