『爺(じっ)ちゃんからの直伝・文化社会学の極意』
「崎門学とは、山崎闇斎(やまざきあんさい)とその弟子たちの思想を言う。」
「山崎闇斎ってどういう人なの?」
「彼は朱子学者なんだけれども、湯武放伐論(とうぶほうばつろん)つまり易姓革命(えきせいかくめ
い)を否定し、『簒臣(さんしん)・賊后(ぞくこう)・夷狄(いてき)は正統とせず。中国歴代の創業の君
主で道義にかなっているのは後漢の光武帝(こうぶてい)ただ一人である』と言っている。革命を否定
し、朱子学を個人倫理としたんだ。闇斎は、『真に正統性を持つ支配者は天皇のみ』とは言っている
けれども、倒幕の考えはなかった。だから、3代将軍・家光の異母弟であり、会津藩の藩祖となり徳川
宗本家を支えていた保科正之は山崎闇斎に師事していた。
また、闇斎は神道家でもあり、号を垂加(すいか)と言ったので彼の神道を垂加神道(すいかしんと
う)と言う。ここで、朱子学の日本化が生じている。ただ、師のこのような朱子学の日本化に異を唱え
た弟子がいた。それは、崎門三傑と言われた三人の中の一人である佐藤直方(なおかた)という人
だ。」
「佐藤直方ってどういう人なの?」
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